smile seeds

愛と仕事と金

フラレた後の話し合いは無駄

喧嘩の後ならともかく、既にフラレたのならもうそこに話し合いは必要ない。 ただ飛ぶ鳥が後を濁し、老兵がいつまでも戦場に口を出し、蛇に足を書き足したようなものである。

またそこに作戦もない仲間を連れて行くのは自分で自分を蹴りつけているようなもので、勇ましい友人の助けはほとほと借りるに値しないものばかりである。

彼の気持ちを取り戻す方法―別れた、振られた、距離を置かれた…

ヒロインは付き合っていてこそ

 ヒロインもヒーローもその力が発揮されるのは付き合っているからこそである。またその力が一番強いのは付き合う前であって少しでも離れてしまえばその力を失う。吊り橋効果も主人公思考もその効果は終わってしまえば効果がなくなることは想像に難くない。

 俗に男は釣った魚に餌をやらないと言われる。付き合うまでは優しく手に入れてしまえば冷たくなるということの比喩であり揶揄であるが私の知る限りではこれは世代を追うごとに薄れている。というよりもスタートとして男が女を追うということが少なくなっているので現象自体がおきにくいという面が大きいように見える。

 逆に女もまた男に対して変わる。初めは献身的でありその後わがままを発揮するというのが一般的に見られる傾向であろう。しかし手に入れたら子供を作って後は惰性で続く時代でもなくなった今、これもまた薄れつつ変化している。

 男は別名保存女は上書き保存というのが流行ったこともあるが、現時点では両者ともに上書き保存が主立っている。つまり、相手に対して無理だと一度思えば気持ちを戻すことが難しくなっているいうことだ。

別れの回避

 相手の気持ちが多少覚めようとも「終わり」だと判断されては戻しようがないというのが現在主流の恋愛事情である。そのため終わりを判断するのはかなり慎重になっているということもあるが、そういうこともなくただ一辺倒に「過ち即終了」という人も少なくない。付き合った人数が多い場合はこの傾向を疑って慎重に付き合う必要がある。そんな情報を先に知ることができればだが。

 ともかく、別れを避けることが重要でありそのためには自分の情報開示は熟慮しなければいけない。男の場合キャバクラや風俗がアウトとなることもあり嘘をつく事も多くなりそうだが、嘘自体がアウトになることもある。相手に対し紳士的に真摯に話すとすればどういう選択があるのか付き合う前も付き合っている間も考えておく必要がある。

 女は嘘が得意。そんなふうに言われることもあるがこれは甚だ嘘めいてきた。これも世の流れによる変化で女の嘘がバレやすくなっている。そして女の嘘はバレた後に挽回できる可能性はかなり低い。

 嘘のバレた後にいくら泣いて名演をしても戻ってくるのは吐いた唾ばかり、そしてそれがその後の自分にプラスにもならないのだからもったいない。名演は笑顔に使うに限るというのが現時点での法則と言える。

 別れを回避するためにそれぞれの思考を使うというのなら結論を出させる前に効力を発揮する必要がある。それこそ毎日毎月毎年相手にその結論をださせないように気分を変えてもらうように立ち回るべきである。

付き合いはプラスかマイナスか

 こういう話をするといっそ付き合うことが面倒で不要だという話になりがちである。最近のはなしでは結婚は男目線で2000万ほどマイナスだという話もでた。私からみるとこういう目を引きやすい話題に流されるようなことだけは避けるべきで、「男女の付き合いは十分にプラスである」と言い切らせてもらう。便宜的に男女とつけたが当然lgbt諸氏による恋愛事情もプラスである。

 なぜなら「愛こそパワー」であることは間違いないからだ。スポーツ選手などは食事管理をパートナーがするようになってプラスという話をすることもあるが、それは自覚がないだけだと言い切れる。プロ野球選手のバースディホームランやサッカー選手の記念ゴールは明らかに集中にも機会にもプラスに影響している。簡単に言えば、記念日は周囲も含めて結果を出しやすい状況ではあるということだ。ただしピッチャーなどのポジションの人間は集中も力も必要な時間、場面が長く結果に繋がりにくい。

 また、実際の成績というだけに限らず具体的な相手にいいところを見せたいという心境は誰にでも経験がありそれが成績や生活環境の変化に結びつくこともプラスである。転職や昇給などは相手次第で大きな違いが生まれる。

 ついでに言ってしまえば別れたから変わるというのもプラスである。人は環境を変えるのに大きなエネルギーを必要とする。しかし別れてしまったので引っ越しが必要だったり職を変えたり違うことに手を出したりというのは日常であり変化の元であることはもう説明の必要もない。

ファンタジーから現実へ

 別れた後に話し合いを持つというのは主人公思考の悪いくせである。  私の言う主人公思考とは物語的なファンタジーを現実の相手に求める傾向を表している。きっと相手は自分の言葉を待っていると思い込んだり、話し合いの後にこれまで以上に深い絆が生まれると思っていたりするのは主人公思考の一部だ。

 我々人間は人の思考を読むことが出来ない。しかし自分の思考に思考を巡らせることはできる。少し言い回しが気になるかもしれないが実際に人は思考する段階でファンタジー染みていたり妄想と思考が混同されていたりする。自分の思考ですら正確に測り知ることは難しいのだ。

 それでも自分の思考に思考を巡らせていれば現実の思考に当たる確率は高くなる。いつでも自分の人生の主人公は自分しかいないのであるが、生きている社会に世界には自分以外しかおらずそれらを排除して生きることは出来ない。常にその世界に揉まれることで思考がつまらなくなる事も多いが、妄想に走り現実に戻れなくなるのも問題である。

 自分を思考し次の恋愛ではどうやって繋ぎ止めて信じ合うのか、自分なりの現実と夢を統合できる答えを持って生き抜いていただきたい。

ふられた気持ち

ふられた気持ち(映画「トップガン」から)