待っても恋は叶わない
世の中には基本姿勢として待っているだけの女性は多い。しかし自分の周り女友達が彼氏が出来ないと言っているからといって本気で自分に彼氏が出来ないことを安心している女性は少ない。
ただ待っているだけに見えても彼女たちはそうしているわけではないのだから。
時代と数の暴力
明治昭和平成と時代が変わってきたけれどこの初期では女性は自ら男性に声を掛けることすらできなかった。待つことが当たり前で常識だった。昭和も過ぎるとかつての価値観を語る親も減り自由な女性が増えた。それでも女性は告白されるもので誘われるものというのが普通で常識だった。現在、親の世代は既に自由を求めた世代ではなく十分に自由であったので親子の会話もゆるくなっている。女性から誘うことも十分に普通であり一般的になった。
周りと同じことをするのが正しいと言葉にすると否定的になる人も実際には数に流されていることが少なくない。そんな中で待つだけの恋愛観を保つのは苦しい結果をうむ。もしかすると美しい感覚かもしれないが、パートナーを得られない事に焦りや劣等感を少しでも感じるのならその恋愛観は間違っているのかもしれないと早めに気づく必要がある。特に酷いのは見た目が上等であるために若いうちに選び放題で余裕ぶっていたのに結果として一人でシワを刻んだ後に焦ることだ。
最近は子供を作るのが先で結婚が後というのも普通なので体を削って先延ばしにするよりも早いと思うくらいで進めてしまう方が幸せになるだろう。離婚するかもしれないからといって結婚しなければ離婚も出来ないのだから。
できない詐欺
彼氏出来ない詐欺は女性同士で頻繁に起きている。ある場合では近い友人にこそ出来ないと言いながらしっかり関係を進めている。ただそれが彼氏ではないというだけだ。ある場合では職場や少しでも可能性を感じると無意識に出来ないと言ってしまう。無意識の彼氏出来ない詐欺は同性に嫌われがちだが本人に意識がないので仕方ない。そんな友達のことよりも自分が彼氏出来ないことのほうが重大である。
同性はともかく異性にはいないという方が友達としてもありやすいというのはわからなくもないが、安心して生きるということなら存在として考える相手がいる場合は誰かは濁しても居ることは言う方が安全だろう。
基本的に女性の言う「彼氏いない」は「お前に言うべき相手はいない」である。
正しい待ち方
近い男性の存在がなければ進むこともない。しかし出会う場所がないのだと言いがちである。では周りの人はどこで出会うのだろうか。見た目が上等な人は生活するだけでいい。美容室でもカフェでもバイト先でも学校でも生きていれば勝手に来るだ。
しかしそうでないのなら必要な努力がある。「笑顔」「距離」「介助」わかりにくいのは距離だろうか、物理的な距離は近いほうが好まれやすく心の距離はTPOに応じて変化する器用さが必要である。また注意が必要なのは介助で多くの気を引きたい女性が若いうちにやりがちな世話焼きは結婚となると足かせにしかならない。初めは優しく手伝ってくれる男もなれると必ず全て任せようとしてくる。そうならないためには常に何かで自分の介助をさせる必要がある。自分ができるから自分がやるのではなく、相手がいつでもできるように修行は怠らないようなものである。
またいつでもなんでも介助に応じないということは気を引くことにも優位である。押して駄目なら引いてみろというのはいつになっても有効な手段の1つである。
この努力は全てを持つ必要はない。だが努力の見える人は輝くものでもある。自分を削り殺さない程度の努力は恋愛にも必要である。