人と比べて当たり前
非競争社会みたいなものが流行ってもう幾年月か。世の中の人は競争しなくなったでしょうか。そんな時代じゃないとかそれぞれ別だとか言いながら結局自分の勝てるときだけ競争したりしてませんか。競争しない代わりに充実感や達成感失ったりしてませんか。
競争で奪われるもの
まず競争で何が失われたり損なわれたりするのでしょうか。なんとなくで競争を拒否しても仕方ないので考えておきましょう。 1つめは個性。人はそれぞれ得意不得意があります。それを考えず競争をすると得意な人が勝つことになります。その結果得意な人は個性に自信を持ちますが負けた人は自分自身に自信を失います。そこで競争心を育むというのは傲慢な押しつけでありそうさせたいならそうなるような誘導が必要です。競争しろ頑張れできるなんとかなるなんていうのは応援しているだけの観客はともかく指導者の資格はない考え方です。子供を育てる親や物を言う大人としてもこの部分は注意しなければいけません。
競争は一人の肯定とそれ以外の否定を生む可能性があります。
競争で得るもの
逆に競争で得るものはあるでしょうか。先述もしたように勝者は自信を得ますがそれ以外は失うものです。他には何があるでしょうか。 競争は今の事実を得ます。これは重要なことで当たり前に誰かよりはよくできて誰かよりはできないはずですが自分が思っている自分と現在の自分を正確に知っている人は少ないものです。強がったり思い込んだり卑下したりではなく事実を知ることができます。
競争は現在地を知る地図になる。
競争の利用価値
個性を失いがちで現在地を知る競争はそのメリットとデメリットで言えばどちらが大きいのでしょうか。ここで個性と現在地について比較してみましょう。個性は言ってみれば外形で現在地はその中心点でしょうか。大きな宇宙の中に散らばった星の大きさや形を比べることと場所を知ることというとより近くなります。同じ競技で同じ内容であればどれだけ離れた人とでも並べてくらべることができます。それは個性を失ったというよりもむしろ個性を知ることのようにも見えます。比べる対象が近いことが自信喪失などの弊害であるものの、現在地や形を知ることは十分メリットの大きさを感じられます。
デメリットは主に指導者や大人、親の力の有無にかかっています。自分が競争する立場で考えるならそういった視点を自ら持って見るようになればいいだけで、これから指導する立場になっていくことを思えば子供や組織を伸ばすためには競争をしながら活かす必要があるでしょう。
現代の競争
ちなみに現在競争は減ったように見えてゲームやSNSでは競争は激化しておりむしろその戦場が細分化してより指導や考え方の工夫がなければ負けたという意識が植え付けられやすい社会構造になっています。
この現在の競争については今後収まる気配はしばらくありません。さらに最近始まっている競争として信用値、やパーソナルスコアなどというものがあります。これはこれまでの生き方の中で自分を査定するもので高いほうがローンが通りやすかったり就職などに有利だったりするものです。これはゲームのスコアのようなもので地道な善行や成果が評価されやすくなる一方でやり直しを図る人には難しさが増すものですが今後50年寿命を残しているような人たちは注意しておく必要があります。