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愛と仕事と金

不幸のエリートを幸せにする

幸せにはなりたい人がなればいいか


私が相談を受ける人は相談に来るくらいなのでいわゆる病んでいる状態にあります。話していくうちにどうにかなる事もありますしならない事もあります。

 

幸せになれないという人をどうにかするのはハードルが高いと感じています。
それは幸せになれないという人が幸せになる準備ができていないから。


今日のメニュー

  • 悲劇を背負う人
  • 運命を人に委ねている
  • 悲劇脳
  • さあ幸せになりやがれ

 

不幸論 (PHP文庫)

不幸論 (PHP文庫)

 

 



悲劇を背負う人

日本人は悲劇が好きです。なぜかは知りませんが色々あるみたいです。その中でも一握り選ばれしエリート悲劇野郎というのもいます。

 

全てが悲劇で苦労しかしてない。他人の苦労を見ては自分が不幸、他人の幸せを見ても自分が不幸。

 

これは状態異常なので幸せになることは可能です。正確には幸せを感じることができるようになるということですが、これを意図的に変化させようと思うと一筋縄に行きません。

 

悲劇を背負うエリートは使命感や義務感すら持って悲劇的であるからです。

 

しかしこれを特殊、特別だと形容すると余計に使命感に燃えたりするのでいけません。特別なのではなく少しバカなだけです。特殊ではなく社会適合が遅いだけです。


運命を人に委ねている

幸せになれない人というのを考えると難しいもので、基本的に人は幸福です。幸福だからといって泣いたり怒ったりしないわけではありませんが、それなら不幸である人も笑ったり喜んだりしないわけではありません。

 

条件としてはさほど変わらない両者が分かれるのは運命を自分で背負っているかどうかです。

 

自分で背負っている人は時々起こる不幸には不運だと感じるでしょうが、背負わない人は自分の失敗も不運に含めます。不運は勝手にやってくるものですからそれが多ければ不幸に感じるのも無理ありません。

 

不注意、傲慢、油断、失敗の理由はたくさんありますが自分を認めれば修正のしようがあります。認めるというのは、なんでも出来る人間ではないがある程度できるように慣れることができる人間ではあるということを認めることです。


悲劇脳

幸福キャンセラーである不幸エリートはこうやって不幸を集めていきます。せっせと自分で不幸を見つけて拾い、しかも大切に磨いて保存しているのです。

 

不幸エリートはよく同じ不幸の話をします。そこから離れられない捨てられない。次に行く前に捨てなければいけないと思っていたりするので次にもいけない。

 

悲劇的思考。悲劇脳。不幸脳。

 

彼らはヒーローを待っています。まさに劇なので最後には助けが来ると思っていたり、自分こそが不幸になってその分主役となるヒーローヒロインが存在すると考えています。

 

考えていないかもしれませんがそうだと決めつけ、思い込み信じています。

 

思考に表出し認識していればまだ良い方で、選ばれしエリートは無意識です。

 

 

不運と思うな。大人の流儀6 a genuine way of life

不運と思うな。大人の流儀6 a genuine way of life

 

 

さあ幸せになりやがれ

そんなエリートが幸せになるにはどうしたら良いのか。

 

とにかくたくさん動くことです。

 

多くの人に会い、多くの決断をし、多くの言葉を出し、またその結果を受け取ることです。

 

初めにもいいました。少し適合が遅れているだけなんです。

 

適合は経験でできます。

 

失敗も不幸も数えられないほど集めてやればいいんです。

 

誰よりも不幸にしかなれないなら、それを自慢できるほど不幸な経験を集めればいいんです。


それに不幸の独占は良くないですよ。