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愛と仕事と金

家族の愛と愛情表現

愛とはという話題はいつまでも終わりのないものですが、だからといって考えなくなってしまうと見失ってしまいがちです。時々考えて自分の愛情表現や感じ方について見直していきましょう。

幸せって見失いがちですよね

家族 (愛・性・家族の哲学 第3巻)

 家族の愛

家族の愛というのはややこしいものです。親子も他人だとすると他人でありながら血を分け合い生活をともにし支え合っています。

親子が他人だというのは親子間での過剰な期待に対するカウンターであり、その間にある絆を否定するものではありません。しかしその絆に過剰な期待が乗ることで家族間での問題の多くは起きます。

子供のためと言いながら多くの親が行うことは自分の生き方の押し付けてあることがほとんどだからです。

愛情表現

最も難しい表現の一つは「任せる」というものです。夫婦間でも親子間でも任せて待つというものは非常に難しく強い表現であります。

例え信じているし任せているという人がいても、それが実際に出来ていることとは別のことです。

愛して信じる

信じるということで間違いがちなのは、自分の期待通りだと信じがちだということ。

信じていると言いながら怒り続ける親やパートナーを見たことがないでしょうか。信じるというのは自分の期待通りになるわけではありません。期待に添おうとしてくれる心、喜ばせようと考えてくれた心を信じるものです。

ここに自分の「期待通り」を乗せると次が期待通りになるどころか次がどんどん小さくなりなくなっていきます。それはお互いに信用が無くなっていくことであり、愛の萎縮であるということは想像の難しくないところでしょう。

愛して任せる

任せるというのもまた難しい問題です。特に親から子供に対しては出来ない危ないと言って中々委任できません。

親としては危険に近づけたくないものですが、自分が近くにいるときこそ様々なことを任せてみましょう。そしてその事が失敗につながったとしても先に子供に対して安心させてあげましょう。例えばガラスを割ってしまったりしたときに「いいから離れていなさい」と言ってしまうことはいけません。周りに影響が大きすぎない限りは子供がその対処までできるようにヒートアップせずに会話をできると自分の気苦労も減り、子供の成長も見込めます。

また夫婦間でも任せるというのはほとんどありません。わかりやすいのは家事の分担や手伝いです。普段自分がしていることを手伝ったり代わってもらうとき、結果は自分がするものは違うものになります。違う人が料理をすれば違う味になるというようなものです。皿洗い一つ、掃除一つ注意しなければ物を駄目にしてしまうというようなとき以外は口を挟むべきではありません。

結果に対して出す口は感謝だけで十分です。

家族の愛情表現

家族における愛情表現は習慣的なものです。夫婦のキスなんていうのはやり続けると感情も動かず不要に感じますが、一度止めるとまた始めるのは難しいものでそうなると愛情表現の一つを失うことになります。

家族間の挨拶や行事など習慣的なものはそれ自体が愛情表現と言えるもので、子供が大きくなり夫婦が年をとってもできるものはやるようにしましょう。 しかし、一方で起こりがちな問題として初めた習慣を子供に強制しすぎて自由を奪うことがあります。子供やパートナーが積極的に何かをするためにその習慣ができなくなるときは受け入れる勇気も必要であると記憶しておきましょう。

愛情表現に決まりはありません。しかし自分の思いだけで伝わるものではありません。

自己愛家族―アダルトチャイルドを生むシステム