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本当にやらないよりやって後悔する方がいいのか

 「やらずに後悔するよりやって後悔する」ってもはや常識のように使われていませんか。 でも本当にそう思ってますか。取り返しがつかない、笑い話にできない、時間で小さくならない後悔を抱えることはないでしょうか。

本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書)

悪意を促進する

「欲求は理性にまさる」  人は突き詰めてみるとどの場面でも自分のために事象を選びます。このことは今回詳しく述べませんがそれを薄々気づいていながら「やらずに後悔したくない」というのを言い訳にして破壊や欲求を通してしまうのはよくありません。

 良くないとは言われてもこの手のことを理性的に処理できる人は多くありません。犯罪にあまり結びつくことに関してはデメリットとして行動に移しにくいというだけのようで、つまりそれも先に書いた自分のメリットを考えての選択の一つということです。

 悪意の半分は欲求です。性的な欲求や怒りの開放などはどうやってもポジティブなことに繋がりにくいものです。

膨らむ後悔

 後悔に関してと言うよりも記憶に関して、人はいずれの記憶も美化しがちです。その一方で美化する記憶に対してその他の記憶は薄れていきます。それが時間が癒やしてくれるという話で、笑い話にできたら良いねとかいう押し付けになったりもします。

 しかしそれを主張する人は積極的な行動により後悔することが希釈され縮小したということがあります。逆に同じような環境に見を置いていることで後悔は消えることもなく膨らみ日々自分を脅かすという人もいます。

 これは人による差なのでしょうか。それとも記憶の種類や行動の種類によるものでしょうか。

するべき後悔の種類

 結論として、やって後悔する方が良いのはそうするべき種類の行動に限られるということが言えます。

 それはポジティブなチャレンジであり、当然その逆はネガティブな行動です。ポジティブものは現状の脱却や(現状に対して前向きな)破壊を指します。ネガティブなものは犯罪や裏切り、嘘や(鬱積したストレスの発散や怒りによる)破壊です。

 後悔したものに対しての発言を集めてみると健康や愛、挑戦という言葉が並びます。一方その中に暴力的だったり破壊的、犯罪的なものはでてきません。一部暴力的なものでも後悔につながっていないのはいじめやDVからの脱却などでネガティブな現状を破壊するためにあります。

 やるべきことというのは「ポジティブに繋がるチャレンジ」であり、またそれが相手のあるものである場合は「相手もポジティブに繋がるチャレンジである」必要があります。

名言

最後にやって後悔しようという格言を見てみましょう。

やってしまったことを後悔よりもやらなかった後悔の方が大きい ユダヤ 諦めたらそこで試合終了ですよ 安西 良くするためのチャレンジは後悔するとしてもするべきである ただの

これらの格言が生まれる背景には人はチャレンジをするのに大きな力が必要でそもそもチャレンジをしないという前提があります。「人を動かす」などでも有名なD・カーネギーも多くのチャレンジを促す言葉を残していますので参考にしてください。

死ぬ瞬間の5つの後悔