身だしなみと生き方の話
好きな人によく思われたい 仕事で契約を取りたいは一緒だって知ってますか?
人に好まれるような外観にすることに拒否感を持つ人がいます。自己主張としての外観にはどんなものでも好感を持っていますが、擦り寄りたくないと言いながら好かれたいとも言う人にはもう少し楽しく生きてほしいと思います。
身だしなみとは
そこまでして好かれたくない。とよく言いますが、その姿を見て否定されることに対して反感はないでしょうか。趣味は千差万別とおそらく誰もがおもっているでしょうが、自分が否定されると人は嫌がりますね。自分は皆に受け入れられたいと思うのでしょうか。
そこまでとは言うものの「そこ」とはどの程度のことを言うのでしょう。スーツを着る、服を着る、トイレに言ったら手を洗う、髪を切る、髪を整える、歯を磨く、洗濯をする。当たり前のことですがこの当たり前が通じない人もいて、自分の当たり前が実は少数派であることもあります。
基本的に社会では多数に合わせていくことになります。これは擦り寄るということではなく、コストパフォーマンスのようなもので合わせやすいほうが合わせるということです。 匂いや身だしなみは多くの人にとって受け入れがたいものとなっているので少数派が合わせるほうが楽なのです。
逆に少数でも強いのは差別関連です。差別につながる問題に関しては世界的に少数の声が強くなります。なのでそもそも生まれ持った強い匂いの人がいたり、機能として身だしなみが整えられにくいと言うような人が排除されると大きな流れを作ることになるかもしれません。
さて身だしなみとは何なのか。基本的には「共通化」です。同族として認識されるための所作や見た目にすることです。 人は自分と極端に違うものを嫌います。敵対とは別で動物としての危機管理と言えます。そのためこれまでの人生で多くの人に触れ多様な人と触れ合っている人からは「新しい人」として認識されて排除されにくいですが、人付き合いの狭い人からは距離を置かれることになります。
この排除を避けると当然ながら人社会では生きやすくなりますし、ひいてはスタートの距離が近い分自分の主張をしやすくなります。
仕事としての共通化
仕事では多くの人たちが自己主張の度合いを下げ周りに合わせます。これも身だしなみと言えます。特に営業職ではこの身だしなみのを持つことで契約を取る確率を上げることは常識となっていますが、そのことは社内でも上下関係、同僚家族にまで影響を及ぼします。
しかしそれが安定すると突飛な人が注目されるようになります。一線に並んで様子をうかがっているところから飛び出るというのは少数派ですからやはり距離を置かれるのが人としての機能というものです。この時距離を置くことが出る杭は打たれるや、目立つ人を叩くことと捉えられますがこれは致し方のないものです。海外でもよくあることですがあちらはこの出る杭がうまく行ったときの手のひら返しが華麗と言えるほどで、日本は一旦出した自分の否定を引き下げにくいという心情から成功にも乗りにくい風土があります。
とは言え基本は共通することで仲間意識を生むのが先にあり、その後でリーダーや先槍となる人が生まれます。最初から突飛であることはまず仲間にしていいのかという本能で避けられてしまいます。
好き嫌いも身だしなみ
人に好かれるというのはスタートにこの身だしなみがあります。自己主張はあとにしてまず握手できる程度の距離に置いてもらわなければいけません。もしそれを嫌だというのならその姿を見られ続ける時間が必要です。慣れと身だしなみ以外の部分から距離を縮めてもらわなければいけないからです。
これは擦り寄るとか媚を売るという問題ではありません。もしそう思っているとしたら自分の世界が狭すぎることをまず悔い改める必要があります。
人に言われても関係ない
こういうことを書いてあるものを見たり、人にそうしろと言われるとやりたくない人は大勢います。しかし言われても見ても常識であろうと関係ありません。じぶんのしたいようにすればいいんです。
ただ自分のメリットを考えて楽しく生きるのに必要なんじゃないかと思えばそうするだけのことです。自分にメリットがあり楽しく生きるにはマナーや身だしなみと許容と言うのはある方がいい。そう思って私は伝えますしそう思っているから多くの人はそうしています。 多くの人がするからするのも関係ありません。易きに流れるというのは駄目なこととして使われますが、仲間として認識されるためには流されているふりでもすればいいわけです。仲間がいれば次のステップがあり道ができます。
恋愛であろうと相手に好かれたければ相手の好きそうな服や趣味や行動をとります。釣った魚に餌をやらないなんていうこともありますが、釣らなければ始まりもしないのです。
まずこれありき
仕事も恋愛も社会生活もまずありきというのは身だしなみやらマナーではなく自分の生きやすさです。それを獲得するのにできることをするだけのことなんです。
初めは息苦しいスーツもネクタイもそのうち慣れます。私はスーツもネクタイも無くして生きる方を選びましたが、それもまず仲間ができたからそうすることができました。楽しく生きるためには2,3年息苦しいくらいはちょろいもんです。
肉を切らせて骨を断つ、損して得取れ、色々言葉もありますが「最後に笑うのは私だ!」ってことで行きましょう。