SNSは発信内容よりも受け取り方
ツイッターやフェイスブック、LINEというSNSが普及してもう10年が過ぎています。若い世代だけでなく多くの世代がそれを使い日々を過ごしています。
しかしそれによって危機が叫ばれることも多く、時々SNSからの情報の受け取り方を確認しておく必要があります。企業の危機管理であり自己防衛であり影響力であるSNSを見ていきましょう。
SNS
・LINE(ライン) ・ツイッター(Twitter) ・フェイスブック(Facebook)
この3つが現在のさん大勢力と言えますが性格も違いますね。またSNSのはしりとして知られたものもなくなったわけではありません。
日本では人気があまりないものの海外では人気のものもあります。
・リンクトイン(LinkedIn) ・グーグルプラス(Google+) ・スナップチャット(Snapchat) ・カカオトーク(KakaoTalk) ・ウェイボー(微博) ・テレグラム(Telegram)
そろそろきりがないのでやめておきますか。リンクトインやテレグラムは最近特に人気で、理由は仮想通貨業界が多用しているからです。リンクトインに関しては履歴書代わりになるものであり新しい世代では十分に使っておいてほしいと思います。
ここに書いたものだけでなく世界中でその土地ではやっているものや世界規模のものなど様々ですがやはりSNSとしての注意点は同じです。
発信するタイミング
SNSで情報を受け取るときの肝は発信するときはどんなときかということ。 例えば普段の昼食を食べながらランチを発信する人としない人がいます。愚痴を発信する人しない人、風景、出来事、気分発信する内容はそれぞれですが共通するものがあります。
・共感 ・マーケティング ・秘密
基本的にはこの3つですがここは読み飛ばさずにじっくり行きましょう。 共感といえば何を想像するでしょうか。怒りや悲しみを共感してもらいたいとすれば愚痴ですし、喜びや感動ならまた違います。この場合の発信はとにかく感情の昂ぶりに対しての吐き出し愚痴として利用しています。
2つ目にマーケティングですが、仕事上というだけでなく自分をブランディングするために発信する人は多いものです。いつも特定の発信をすることでイメージ付ができるというのは一面だけを見せることができるSNSの利用しがいのある部分です。
3つめは秘密です。SNSは発信であり不特定の人に見せる行為であると同時に秘密を持つ場所でもあります。裏アカと呼ばれるものは特にそうですが、性的指向や普段話さないことを見せるためでもなく吐き出すことで自分の二面性のバランスをとっています。
注意すべきは反応
発信の内容を抑えた上で、今日注意しなければいけないのは誰かの発信そのものよりも自分の発信に返ってくる反応の受け取り方です。 炎上と言う言葉も既に一般化したように思いますが、SNSでは常にどこかで炎上と呼ばれる現象が起きます。ある発信に対して多くの反感の反応が返ってきて手に負えない状態を指します。
人は言葉を見ても内面を考えて反応することは稀です。身内の発信や好きな有名人のときだけ思考し反芻しますが、それ以外では感覚的に表面を捉えています。
また配慮や思考が十分にされた反応であったとしても、今度は自分がそれに対して表面しか受け取らなくなります。人は自分が反応するときはある程度の配慮があるものの、自分の発信に対しての反応には感覚的に捉えがちです。
こういった現象からSNS上では感覚的な怒りや反感、悲しみ絶望、幻滅などが行われます。しかし対面の関係であればそういったことは起こりにくい。これは相手に遠慮が生まれやすいからですが、遠慮は時間を生み時間が思考を生むからでもあります。
つまり、SNSに関しては反応に時間をかける方がよく、相手の反応を見たときにも思考をする時間を作るほうがいいということです。
大事なことはもう一つ。
思考だけでは短い言葉を書き換えることはできないという点も注意しましょう。一度誤って受け取った言葉を思考だけで訂正するのは老若男女にとって至難の業です。相手が気のおけない仲であってもそうでないとしても言葉をかけられる仲であるならその言葉の真意についてのやり取りをまずはするべきです。
丁寧か無視か
SNS上で過剰に傷ついたり炎上を避けるには丁寧に対応するか無視することになります。 丁寧というのは言葉上だけでなく、できれば声で、もっとできるなら対面で声を聞くほうが対応は楽です。また避けるというのは難しく、ブロックなどの機能を使って反応を見なくすることはできても相手が消えるわけではなく、自分のコミュニティ上で風評被害が起きることもあります。そんなときはブロックの前にコミュニティに相談するか、コミュニティ丸ごと切り捨てるかです。大抵のコミュニティは似たようなコミュニティが他にもありますし、そこでしか自分の価値がないなんて人間は存在しないのでたまにはそういう方法もいいでしょう。ただしコミュニティの切り捨ては自分の住処を狭めることは間違いなく、多用するのは危険であると認識しましょう。