不安定な人間と不安定な人は別
不安定さと不安定であること
私のところに相談に来る人には不安定な人が多いです。
もちろん生活が不安定とかそういう事ではなく、メンタルのお話。
今日は不安定さは必要だけれど不安定で居る事とは違うというお話。
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今日のメニュー
- 不安定さは必要
- 不安定になること
- 無関心と安定
- 表現を選ぶ
不安定さは必要
感情を抑えるなんて自由じゃない。感情を出すのが自分だから。
不安定さを抑えようという話をするとそういう言葉が返ってきます。自分を持っていて大事にしていて素晴らしい事ですね。
不安定というものは人間そのものです。機械みたいな奴、ロボットみたいな奴と言われたら正確な作業をできるか、感情がないかどちらかで使われますから納得できるのではないでしょうか。
人は不安定であるべきである。とかそういう事ではなく、そういうものです。一見感情がない人でもそのコミュニティかその話題とは別のところでは感情豊かに見えるというのはよくある話です。感情が出れば怒りもするし泣きもするそれは不安定さです。
不安定だから苦しい事があり楽しい事がある。泣く事があり笑う事がある。どちらかだけでは成り立たないものですね。
不安定さは取り除こうとしては無理が出ます、いびつになります。
不安定になること
では全ての人が不安定さを前面に出しているでしょうか。人によっては常に笑顔という人もいますし出さないという人もいます。また全ての人が感情を全て出したらカオスですね。誰でも嫌な事を我慢して、涙をこらえて過ごしています。
そんな中で感情が全てでないと自分ではないというのは、他の人の生き方を否定しているのでしょうか。本人に否定する意識がなかったとしても、少なからず自分の正当化と同時に他人の否定は含まれています。
不安定さは自己啓発などによれば不利な点として見られています。個人的にもすぐ怒る泣くという人はコミュニケーションジュ不利になる事は間違いありません。思考も落ち着かなかったりしますし周りから見れば面倒な人ですからね。
自分らしさを捨てずに不安定さをなくす事はできるのでしょうか。
無関心と安定
不安定を取り除こうとすると陥りやすいのが無関心です。一見すればおとなっぽく、落ち着いているように見えますが感じる事を排除しようとしたりそもそも関わらなかったりするというのはおとなでも落ち着きでもなく諦めと臆病です。
自分の傷つくのを避け、自分の疲れるのを避け、自分の痛みを避ける。そういうだけのものです。悪いわけではありません、ただ楽しくはない。
安定は無関心ではなく反応を選ぶ事で作る事ができます。
表現を選ぶ
反応を選ぶというのは極端な事を言えば怒れば笑う、悔しければ笑う、辛ければ笑うというような此までの感情表現をかえることです。
そんな事はできないと思われるかもしれませんが、感情は反射で出るものですがそれに応じて出る行動や表情は自分で選ぶ事ができます。
もちろんトレーニングが必要で初めは違和感も苦しさもあるかもしれません。しかし馴染んでしまえばそれは完全に自分のものとなって、楽しくなります。
それを周りから見ればあの人は最近よく笑うようになったという事になりますし苦しんでないと受け止められます。苦しく生きていたいのならそれもいいですがいつも楽しそうだと思われ得るほうが得をする事が多い。
言葉を変える表情を変えるなど初めは作り笑いでもいい不細工でもいい。そう言われる事もあるでしょうが長い目で見れば確実に楽しい生き方ができるのは表面的に不安定さをプラスに出せる人です。
媚びるとか、個性がないとかそんなん小さい事がめにつくなら致し方ないことではありますが。