嘘に優しさはない。
人は嘘をつきます。人のためとか優しい嘘とかなかなかドラマチックな話もありますが、そんなものはありません。ただの嘘です。
人は自分のことしかわかりません。相手が何を思っているのかわからずに嘘をつきます。また本当であっても嘘だと思われます。実に面倒な話ですが、人間の脳に善し悪し、善悪というものの判断はできないといえます。例えば『車』と言われて善悪を決めることはできますか?できませんね。
しかし悪者が使った車だと言えばその車を見た人の反応は悪になります。車かどうかではなくその周りの要素によって判断しています。その要素とはほとんどの場合自分にとっての損得です。この損得には感情的な損得も含まれるので一見損を選んでるように見えますが、損をすることによって自分が満足することを選んでいます。
逆のこともいえます。相手が何をしても自分が悪だと決めればそれは悪になってしまう。逆も然り。
つまり善意の嘘と言ってもその判断は自分だけのものでしかない。嘘とはただの嘘であり、相手の嘘に善意があるのか悪意があるのかはわからない。
さてここからが本番です。
人は嘘や様々な方法で傷つけられます。しかし自分が行ってきた善意や優しい嘘も自分に対する愛でしかありません。ならそこに対する怒りは何でしょう。何のために怒り悲しむのでしょう。そこにあなたの実害があるならそれは悲しみ怒るでしょう。しかしそれを持ち込んだ相手に善意があったのなら相手を怒るのはお門違いです。やつあたりです。
どうすればいいのか、怒り悲しむことは仕方ありません。自分に害があるわけですから無かったことにはできません。しかし、怒りは続かないものなので少し落ち着いたところで害について、そして嘘や悪態について考えましょう。自分がその嘘や悪態をつくときあなたは何を思うでしょう何をしたくてそうするでしょう。
別に相手に同情したり同調したりする必要はありません。ただ、あなたならどうなのかあなたの嘘は誰かにとって同じ苦しみを与えていないでしょうか。間違った伝わり方をしていないでしょうか。
結果は長引くこともあります。いつまでも借金を背負わされたり、体に傷が残ることもあるでしょう。その恨みを晴らそうとすることは力になりますが、幸せにはほど遠い感情ですよね。しっかり消化できた人はそんな話すら笑って教えてくれます。間抜けな人も笑って話してくれますが。