自己啓発は野望作成機
自己啓発は夢が叶うというより野心をむき出しにすもの。
自己啓発の名著から学ぶ 世界一カンタンな人生の変え方 (Sanctuary books)
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自己啓発本というよりいわゆる成功本が嫌いな人は、上から目線で言われるのが嫌、胡散臭いのどちらかです。今思いついただけなので違う理由もあるかもしれませんが、宗教チックというのは胡散臭さですし、自由にやるわという人は上から目線が嫌なので凡そまとめられているのではないでしょうか。
もう一つ特に叶えたい夢がないというのもありますね。サラリーマンになってしばらく働いていると習慣化してしまうことはよくあります。夢というと特に綺麗なイメージが強くあるので幸せな家庭とか大金持ちとかふんわりしたものになることもよくあります。ふんわりしてると自分でもつかみどころがなくなってしまうんですね。
多くの自己啓発で夢を書き出すとありますが、あれはそのふんわりした夢を現実的なものに置き換えようとしているんです。言葉にすると現実味が増す、言葉になりにくいことも無理やり言葉にすることで現実的なことに置き換える。
これを夢の野望化と私が勝手に呼んでいます。
野望
野心、野望というと少しイメージが悪くありませんか?しかし強い意志がありそうですよね。夢を叶えるにはその強い意志が必要で、夢のようなふんわりしたものは叶えにくいんです。なので自己啓発のセミナーなんかを覗くとみんなメラメラしているのでそういった熱に当てられて自己啓発から離れることもあります。
野望というと私にはゲームの信長の野望が思い浮かぶもので、ついつい信長のようなオラオラした感じと結びつけてしまいます。いや信長のオラオラもそもそもどうなのか知らないんですが。野望と言うとオラオラ感がありますよね。
オラオラ感はつまり熱エネルギーで運動エネルギーです。困難は打ち破る悪の手先のようなイメージになりますし、自分は主人公としてイメージされてきます。こうなってくると全体的に男の子向けの漫画やゲームの感が出てくることが女の自己啓発界隈での少なさになるのかもしれません。最近は女性もかなり増えたので、自己啓発のイメージが変わったのか、女性が変わったのかしたのでしょうね。
織田信奈の野望 安土日記1 本能寺茶会騒動録<織田信奈の野望 安土日記> (富士見ファンタジア文庫)
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やることがある方が人生は楽しい
なんだかんだと言いましたが、人生は長いです。信長の歌っていた「人生五十年」という部分だけ記憶されがちなあれは「敦盛」といって源平合戦の一幕です。当時の寿命が五十年しかないということもありますが、五十年を一日とする神様的なものと比べたら一瞬だわというものです。
一瞬とはいわれても成人してから死ぬまでで五十年を平然と数える今と、五十年の人生でいつ死ぬかわからないものとでは濃さも違ったでしょうね。
そんな一瞬の人生ですが、何もしないと感情も薄くなるのが人間です。感じなければ長くても平気なのか、楽しく過ごすのがいいのかどちらでしょう。
学生時代、部活だ試合だ、文化祭だ体育祭だと何かがあるときはそのじゅんびからたのしくてしかたありませんでした。遊びに行くことも趣味ものめり込むときはなんでも楽しく感じるものです。
ワイワイガヤガヤ、、、、は多少疲れますが何かに向かって楽しみましょう。
なんの話だ
自己啓発は野望の作り方だって話でしたっけ。
イメージが悪くなるのは野望という言葉のイメージでもあるんですね。