素敵なはなし

素敵な話になればいい話、色恋と仕事

今この瞬間幸せになる

いつか幸せになると言って耐えている人がいます。 辛い労働環境、壊れた家庭、蔑ろにされる人格。それぞれに理由があり、どれも本人にとっては看過できない重要なことです。

しかし幸せは待つことが出来るようなものでしょうか。

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せはどんなもの

 そもそもあなたの待っている幸せとはどのようなものでしょうか。理想の人物との結婚?宝くじの当選?仕事で重役になること?  実際に幸せについて聞いてみるとあやふやであることが多く、具体的な事案はでてきません。あなたは別でしょうか。具体的な幸せといえる目標がある?因みに私にはありません。

 お金があっても良い関係の家族があっても仕事が順調でも幸せではないと思っている人のほうが多いようにも見えます。その理由の一つは苦労への執着や美化、清貧などの意識が強いことが上げられるでしょう。

 しかし日本では少ないと言われる自分を幸せだと思っている人を見てみましょう。すると苦労や清貧などとは少しずれた感覚を持っているようにも見えます。傍から見れば不幸だと思えるような人が幸せだと生きるのが楽しいと笑っていたりします。

 あれはただの能天気だ馬鹿だと思いますか。一面的にはそうでしょうが、自分で選んで馬鹿をしているのは馬鹿だとは思いません。

幸せはどこにある

 この際、幸せがどんなものなのかは置いておくとして、私は幸せを待っていても来る気がしません。多くの大人が苦しそうに悩み怒り落胆してるいるのを見ていれば誰でもそう思うのではないでしょうか。

 砂漠に一週間放り出されたとして、持ち運べる水や食料は限られているので後半は熱以外にも飢えとの戦いになるでしょう。汗すら干上がり肌は荒野のようになり、喉は熱と砂でただれて声を出すのも苦痛になる。そんな一週間を超えてコップ一杯の水を飲んだ時、それはなんでこんなことをと言う余裕すら無いほど絵も言われぬ幸福ではないでしょうか。

 これは外的要因のもたらした幸福ではあります。しかしそうでなくても食事の度に体全てで幸福を表しているような人はいます。大したことをしたわけではないのに涙を浮かべて感謝されるような時も相手はこちらの僅かな達成感とは裏腹に幸福を感じているでしょう。

 お金にしても仕事にしても愛にしても幸せは何かとの関わりから生まれているように見えます。しかしそれはどうやらもたらされた結果とは関係なく感じるのではないでしょうか。

 もしかすると幸せは元々自分の中にある感情で生き方の一つなのかもしれません。

幸せを迎えに行く

 迎えに行くと言っても自分の中にあるものなのだとしたら導き出すと言う方が良いでしょうか。また生き方なのだとしたら選ぶだけなのかもしれません。

 そういう風に見ているとある人々を思い出します。ある種洗脳された社畜や、誘拐した犯人を愛しているように感じるストックホルム症候群の人々です。酷いDVを受けながら幸せだと信じているような人もいます。  それらは選んだわけでも導き出したわけでもなく盲信しています。彼らを見て幸福だと笑顔で言えるような人は限られているでしょう。

 ではどうやって幸福を迎えればいいのでしょうか。 どうやって選択し導き出すのでしょうか。私の思うそれはポジティブと言う言葉が必要です。またその中でも盲信することなく、苦労の中から楽しさを探し出すという作業が必要です。

 日頃の行動全てから幸せは見つけ出せるかもしれません。食事も睡眠も家も服も心底幸せだと思える要素がその中にあるのは間違いありません。

 練習としては小さな幸せを毎日探して書き出すことがいいでしょうか。それは幸福のための練習として既に誰かが勧めていることでもあります。

幸せになる100か条