そもそも好きってなんだと思ってるのっていう話
好きという勘違い
私のよく怒られる主張の1つです。他があるのかと言われたらすぐに思いつかないですが、さすがに恋愛感情そのものを否定するような言葉なのでこれだけは確実に怒られます。
そもそもこの主張を多くの方が納得すると世界がわけわからなくなるので通る必要もないんですが恋愛感情に実態はありません。
海外に出るとまた少し感覚や言葉の使い方が違うので違うかもしれませんが、こと日本において語られる恋愛感情は蜃気楼です。
これはそれぞれを語る言葉を煮詰めていけばわかることですが、恋愛を語るどんな言葉も恋愛そのものではなくその周りにある欲求を示すことになるからです。
中でも安心や落ち着くなど一緒にいたいという思いはあらかた承認欲求や支配欲独占欲あたりに落ち着きます。欲求の種類についてはマズローのものを見るのが手っ取り早いでしょう。
- 生理的欲求
- 安全の欲求
- 社会的欲求 所属と愛
- 承認欲求 尊重の欲求
- 自己実現欲求
となり上から順にある程度が満たされていないと次の欲求に進めないとしました。
この中でどこに恋愛が含まれるのかというと、社会的欲求のところに所属と愛はあるものの承認欲求、安全、生理的全てにその要素が含まれていることがお分かり頂けると思います。
また恋愛感情を感情という枠で見た場合、喜怒哀楽を起こす元であっても恋愛感情という感情は愛おしむという部分が抜き出されるだけで恋愛感情全てが含まれることはありません。
さて好きとは恋愛感情とはなんなのでしょうか。
それでも好きだもん
若い子にこんな話をするとそういう答えが返ってくること百発百中なんですが、好きという情を否定しているわけではありません。
私が注意しておきたいのは『◯◯だから好き』は良いけど危険だよということです。好きである事はあやふやなもので良い時もあれば悪い時もある揺れのある気持ちです。
しかし好きであることの条件付けをしてしまうと、それはたちまち脆いものになります。焼きすぎたトーストよりも脆いくらい。
人の気持ちは固定する事はできません。怒りも冷めるし悲しみも忘れる、好きだったものにいつの間にか触れなくなるし好きだった人のこともいつのまにか思い出さなくなります。
逆に思い出すだけで思いやるだけで蘇ることもあります。
そのために記念日や記念品とがあるといいでしょう。多すぎるとそれ自体に冷めてしまう慣れてしまうのでバランスが難しいかもしれませんが。
始まりを思い出してみる、思い出の場所、物、事をゆっくり見直して慣れて忘れて擦れた恋愛感情を楽しみなおす事もできますね。