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愛と仕事と金

信じる者は救われる、それは神でなくても

私は宗教に属さない。しかし神という存在については肯定的である。

神について語る事があれば私は存在を肯定することを勧めている。存在について否定する人は強いなとも思う。

それは神について肯定することは、例えば嫌なことがあった時にいや事の原因である人ではなく神に対して試練をくれてくそったれと言える。また良い事があったら誰も関わっていなくても神に対してありがとうと言える。それでもこの2つだけで十分神を肯定する価値がある。

つまり自分の人間性を高めて、対外的に価値を高めるのに神の存在は適しているのだ。


また神とは別に信じるという事はいい事がある。例えば人に嫌な思いをさせられてもその人の悪意では無いと思うことが出来たなら嫌な思いは少ない。

それに何かを迷っている時行動までの時間は建設的でないことが多い。とにかく動いてその結果を信じる。そうすれば決断は早くなり、何も生まない迷いの時間は少なくなる。

単純な思考は強く早い。トップ1%の人間になりたければ思慮も必要だが、その前にそこまでの99%を超えていかなければいけない。その時必要なのは決断であり単純な思考だ。

今する行動を信じ結果を信じる。
そして人を信じる。
人は善意が全てではない。信じると言っても誰も裏切らないということを信じるのではなく、悪意からスタートするわけではないということを信じるのだ。

そこにはその人のメリットは絡む。しかしそれは自分も同じこと。すべての人が同じメリットを感じることなどないのだから自分のメリットを考え、近い誰かのメリットを考えるだけでいい。それで大きな損を与える相手がいれば少しずつそこについても考える。

人間はひとつの思考では終わらない。だから少しずつ決断をする必要がある。