現実をみて夢を叶える ヒロイズムと被害妄想
「現実を見ろ」とはよく言われますが、その本当の理由をご存知でしょうか。 ただ夢を諦めろと言われたと思い反発したり、嘆いたりしていては勿体無いのでその言葉の意味をしっかり受け取れるように見直しましょう。
現実的なもの
言われて感じる現実とはなんでしょう。夢の対義語の様に使われている時に限定して見てみます。
例えば現実とは生活基盤です。もう少し正確に言えば住む場所や物が確保され、収入が安定していることですね。普段は細かい言葉の意味を意識してやりとりしないのでそれぞれが勝手にその中身を読み取っていますが実際には意味がかなり違うことも多々あります。
他に現実と言えば対象的なもので引き合いに出されるマンガやアニメ、ドラマというのもわすれてはいけません。
多くの夢の始まりにそれらは関与していますが、その道のりを特にそれこそ「現実的な苦労」を超えていく主人公なんていうのはありません。特殊な環境、特殊な能力、常に起きる奇跡的なラッキーが必ずあります。
現実とは何をしてもしなくても乱暴に過ぎて行く時間と奇跡が奇跡でしかない自分の限界のことでもあるということです。
被害者妄想とヒロイズム
夢を追いかけようとしているときの人は総じてヒロイズムに酔っています。テンションが上がり、パワーはあっても道筋はなく、敵味方を作りたがる。
これは夢に対しては大きな壁です。自分自信が壁となり夢を阻むなんて気づくと悲しいなんて感情は通り過ぎてしまうところです。
テンションが上がるのはいいことです。何をするにもはじめの一歩は大きな壁であり、その壁を超えるのに簡単な方法はテンションをあげることだからです。しかしそのせいで道筋を作らずに完成した夢だけを語り道筋を見ず、どうにかなるといいながらどうにかする術を学ばない。 そして一つでも否定的な言葉を向ける人は敵で、何でも良しと言う人が味方とされます。
最も問題なのはその事に本人が気づきにくいことです。どんなに嫌な気持ちになろうとも、自分を否定する人は常にそばに置いておくほうが自分を見ることができるでしょう。
夢を追うための現実
本当に夢に対して見なければいけない現実とは現実的にやれる道を探すということです。 道を探さない夢はただ絵本を読んでいるだけ漫画を読んでいるのと同じ、ただテンションを上げてごっこ遊びに興じているだけです。中には本当にそのつもりで遊んでいるのに周りから本気にされて困るという人もいるのかもしれませんが、それは基本的に誤解させてしまうほうが悪いので言葉の扱いに気をつけなければいけません。
さておき、現実的な道を探すとはなにか。人には限界があります。物理的な時間的なもの、金銭的なものです。夢を叶えるためにはその道のりを超えていかなければいけません。
最近はクラウドファンディングやSNSがあり情報も道のりも見つけやすいものです。スタート時点で特殊な才能が必要だったりしない限りはその道に進むことは可能でしょう。もちろん日本一、世界一なんて言うのは完全に才能と命をかけた努力の結果でしょうけれど自分がどこまでいけるのかというチャレンジに当たるまでは進めます。
敵について見ておくと、夢に一番最初から最後まで敵になりやすいのは身内です。そこは説得よりも事後承諾、説明よりも結果で見せるのが現実的です。親や家族に反対されたからという理由で諦めた夢があるなら、それは誰のせいでもなく自分に熱が足りなかっただけのことだと思いましょう。
現実はいつでも自分に辛いものです。やればやるだけ厳しいものです。それが楽しい、それを超える壁を打ち破るのが楽しいものです。一番分かりやすい例はスポーツ系の部活や全力で取り組んだときの文化祭、本気でやったテストの結果などです。
夢はその現実の先にあることを忘れずにいましょう。
それでも夢を見るべきだ
夢はいつでも厳しく辛いもの。それでも夢を見つけたら小指一本でも引っ掛けて追いかけてください。
十年後できないことは今やらなかっただけ。自分がやらない選択しただけ。十年後二十年後できなくなることは山ほどある。しかしその何倍もできることがある。
物理的に時間的にできないことはいくらでもある。その責任を誰にも負わせるな夢の責任は自分にだけある。
チームの夢だとしても個人の夢と同じにしてはいけない。チームで叶える事が夢だとしたらそんなチームを自分が作ることが夢であることに気づかなければいけない。
今できる選択を探せ。 夢を選ぶ、それはだれにも許されている。