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愛と仕事と金

みんな社会の歯車になる

社会の歯車になりたくない。

若い頃周りではよく聞きました。私もそう考えたことがありますし、最近でも若い子が同じことを言っているのを聞きました。

なので気持ちはわかる。でも歯車じゃない人なんていないんです。

歯車の中の人々―教育と社会にもう一度夜明けを

歯車とは

 実際に歯車に成るというのはどういうことを意味しているのか、これを考えずに語ることは出来ません。歯車とは表立った車や飛行機というものではなく、それらを作る部品の一つです。それが転じて自分という個人ではなく、会社の中の一部として認識される事を意味しています。自分を見てほしくて見えないネジにはなりたくないと。

 歯車にも重要な役割がある!!何ていうのがよくある話ですが、それはそれで間違ってもいなくそれに付け加えるカタチでつづきをみて頂きたいと思います。

 さまず私の現在の認識です。歯車にならない人はいません。社会で顔と名前の一致する人もいますが、彼らの立場に歯車になりたくないという人がなったとして満足できるでしょうか、否。ありえません。

 そこもまた歯車であることを思い知るだけです。彼らもまた歯車としての役割があります。自由であるわけではありません。

 自営業も社長もミュージシャンも芸術家も全て歯車です。そこに完全な自由意志は存在しません。

嫌な理由

 次に、歯車になりたくないという本当の理由を探ってみます。歯車になりたくないというのは表面化した意識の中でなおかつ言葉になりやすかったもので、それが全てを表しいているというわけではありません。

 理由の一つ目は初めに見たもの。自由です。命令に従って働き、勝手なことはできない。自分のやりたい仕事は何一つ出来ない不自由です。

 歯車を嫌う理由のもう一つの理由、こちらが根本的な理由です。それは出ると思ったら入るということ。つまり社会に出るということを想像していたら社会に組み込まれるという事だと思い至った。自分はどこまでいっても籠の鳥だと思ってしまったことが理由です。

 社会に出て自分の足で歩く、それを嫌う人もいますがそれを楽しみにしていた人が歯車を嫌う人になります。何かに成る前に夢が破れたような気分でしょう。それは悔しく辛い経験です。出鼻をくじかれるどころではありません。

 しかし安心してほしいと思います。歯車には歯車としての自由があるのですから。それを感じられないかもしれませんけど。

いい歯車になる いい歯車は自分動く メンテナンスが必要 

 さて自由を感じるにはいい歯車として生きることが必要です。いい歯車とはなんなのか。それは油を適度に差し亀裂や余計なものが歯の間にないか確認し、周りの動きをしっかりと次に伝える歯車です。しかし歯車は概念であって人そのものではありませんから、当然ながら人としてはどうあるべきなのか考える必要があります。

 まずいい人はよく動く。いい人はメンテナンスされている。いい人は自分の場所を変えることが出来る。

 当然ながら歯車として人として働く事は重要です。それはただ与えられた事をこなすだけではたりません。なぜなら人の口から出る言葉は思いの一部であって全てではないからです。それは仕事でも同じで「これ」をして欲しいと言われて「これ」だけでは確実に足りない。しかも求められる「これ」と結果としての「これ」も必ずズレがあるので更に足りない。  必要なことをこなすだけでも実は与えられた以上のことを残さなければいけません。

 人も耐久性が限られています。寝ずに働くことは現実的でないし、人の倍の結果を出すには倍の働きを工夫しなければいけません。最大パフォーマンスをだすためにはメンテナンスが必要です。休息や情報のインプット、トレーニングに勉強会、リフレッシュの遊びと生活としての遊び。最近ではそういう公私のバランスを取るための講習やトレーナーもいるので一人でやろうとせずに任せられることを任せることも大事です。

 同じ場所に同じ歯車を見つけていれるのは簡単ですが、人はそうは行きません。しかし人の代わりはなくても、作業の代わりはできるもの。つまり自分の場所は自分でしかいけないことはほとんどありません。新しい人材には常に自分の場所を与えられるような状態が最上です。その代わり、当然自分の次の場所も見つけなければいけません。それは基本的に出世という言葉で表されていていますが、必ずしも上であるとは限りません。自分の納得できる場所が上でも下でももしかしたら別の場所でも歯車としての能力が発揮できる場所を普段から探しておかなければいけないでしょう。