なるべく手を抜くよりなるべく本気
力を尽くすことは疲れることだ。 必要なければ省エネで過ごすべきだ。
本当に?
人のしくみ
人は慣れるものです。大きな括りで言えば全ての生物は慣れるものです。あらゆる環境に適応して生きてきた事は誰も否定しないでしょう。
それは小さな一人の人にしてみても同じです。そしてその一人の小さな一つのことに注目しても同じです。 省エネで生きることは少し気だるげでニヒルで憂いを帯びてかっこよく見えることもありますが、実際にはそうして生きていることは怠惰であるだけでいざという時に動く筋力を失い、気力を失うものです。
慣れるということは「年とったな」と言う言葉は殆どの場合、「何もしてこなかったな」ということにもなり得るという意味でもあります。
運動は必要だ
力を尽くすとは言わないまでも、汗をかくような運動は体の活性化に繋がることはほぼ常識であります。また健康だけでなく美容にも心にも良いことは多くの実験とデータを探すことが出来るでしょう。
仕事や作業に集中し全力を尽くすことは運動と同じであると言えないでしょうか。 それはつまり脳の働きと思考に対しての運動です。定年してすることがなくなった人が急に老けたりボケたりすることはよくありますが、これもまた極端に言えば省エネ慣れの結果といえます。 また学校での勉強は必要であると主張されるその最も大きな部分は情報よりも脳を使っていることにあるという話もあります。
運動をするような人は同じ理由で仕事や作業に全力を出すということです。事務に通う人は高収入であるという話があるのはデータは詳しく知りませんが、こういうことと関係しているのかもしれません。
頑張って迷惑なことはない
どんなに能力が低くても1の仕事を終わればそれは1の結果になります。他の人が3の結果を出すからと言って1も出さないのと1でも結果を出すのとでは全く異なります。
時々人の中には1しか出せないのかと罵るものもいますし、貶し蔑みせせら笑う者もいます。 けれど1でも結果を出し続けることは成果でしかありません。笑い怒る者は自分以外を許容できないだけのことです。
それと同じように自分が自分を貶して笑っても結果は出せません。 1でも結果を出し、積み上げ、10に100にしていくことで次の自分に成れるのは間違いありません。
結果はもしかすると常に欠損しているかもしれません。つまり失敗かもしれない。それは自分の失敗の研究を続けることであって、失敗は失敗をバネにする練習であります。自分の失敗をバネにしてなんて言うこともありますが、実際に大切にしてほしいのは自分の次に失敗した人のバネになるということ。自分をバネに次の失敗者が飛び上がることは自分の成果であることを知っておく必要があります。
全てプラス
こういう理由で全ての結果はプラスでしかないといえます。
そして全ての結果をだすのは省エネではなく省エネをするための全力であり、失敗を避けることではなく失敗を活かすことであるでしょう。
もし失敗に出会ったら、まず「なるほど」と言ってみましょう。冷静に失敗の原因と対策を考えられるように成るかもしれません。