自分にできない事を人に要求するな!とかいう話の話
自分にできないことを人に求めるな!とかいう無意味さ
サッカーの試合を見てると何故か全くやったことのない人でも監督なのかプレイヤーなのかそんな目線で指示を飛ばしている人がいますよね。俺の方がうまいという人も良く見ます、プレーは一切見たことないんですがセリフはよく聞きます。
そんな時に、出来ないのにケチをつけるなと影で囁いてるのも同時に聞いたことはないでしょうか。
今日はそんなセリフの無意味さについて考えていきます。
サービス発展途上国日本―“お客様は神様です”の勘違いが、日本を駄目にする
- 作者: 奥谷啓介
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- 発売日: 2009/05
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- 自分にできないことのほうが多いのは普通
- 自分の要求をするのは普通
- 相手は人である
自分にできないことのほうが多いのは普通
そもそも人にできることは少ないですね。ある程度なんでもできるとは言ってもどれもプロフェッショナルではないというのと同じようなもので、それぞれの一流からみればどれもできてないように見えるでしょう。
もしできないことを言うなと言うのなら、人はほとんどの事を言えないことになります。
またランチを食べに行って味が濃かったので濃いなと言ったら「じゃあじぶんでつくれば」とこんな風景もよく見ます。食べに行ってるんだから少し注文をつける、お願いをする事は可能な範囲ですることが許されているはずです。
自分でする代わりに対価を払っていることに関して自分でやればというのは選択肢ではあっても幾つもの中の1つであるべきです。
自分のできない事を対価を払っている中で効果を最大にする、これは「対等な要求」であり妨げられるものではありません。
自分の要求をするのは普通
外でこういった要求をする人をワガママだとか、知ったかぶりだとかまあ幾らでもケチをつけることができます。しかしもしこういった要求をしなければ、例えば買い物やサービスでお金を払う時に店側の言いなりになることになります。
当たり前だと思われるかもしれませんが、当たり前なのは対価を払うことで店客は対等でお互いの最大限の要求をする事です。写真とは違うものが出てきたが黙って食べることもありますが要求をすることもあるこれは間違っているかどうかではなく可能の探りです。
時間がないから作り直しはして欲しくないなら黙って食べる、しかし次はない。もしくは注文をつけて次回もちゃんとしたものを食べて満足する。
これは大きな違いでビジネスで考えれば普通の事でしょう。
相手は人である
とはいえケチをつけたり注文をつけたりする姿はとても見苦しいものになってしまいます。それはお客様は神様だと思っている態度や、あきらかに無理難題を言っている場合です。
さてこういった要求のつけ方はかなりのリスクも伴っています。
なんせ相手は人ですから機嫌を損ねて殴られることもあるかもしれません。私はそれがないと思い込んでいる人の気が知れません。それに飲食店で嫌な客にちょっと悪いものを出すなんて事は昔から日常茶飯事で、私のいたパソコンショップでも嫌な客には適当なものを勧めておくなんて事は良くありました。
要求や注文はする事に悪はありませんが、その言動には悪があります。つまり要求は対等なのでできる範囲でのお願いをするものであるという事です。
周りにワガママだと思われるのも付き合いが難しくなりますし、行く店でブラック扱いされるのも気分が良くありません。周りで見かけたら言い方と要求の範囲に気をつけるように言ってあげましょう。
それも友達付き合いする上での「対等な要求」というものです。