容赦なく幸せになる
幸せになりたくない?
幸せは良くも悪くも本人によるところが多いものです。人参を畑から抜いてそのままかじる、これを幸せだという人もいれば不幸だという人もいるようなものです。楽観的な人なら多くの幸せを感じるのだろうし、逆なら不幸になるのでしょう。
そんなあれこれを関係なく、絶対に幸せになるためにはどうすればいいでしょうか。
良く考えたらそれほど素敵な話ししてないなと思ってネタばかりを書き出していたら重いものばかりが出てきたので仕方なく極論に走るの巻。
今日のメニュー
- 信じるかどうか
- 幸せとは何か
- 実際どうするのか
信じるかどうか
まずは兎にも角にも信じない人は幸せには遠く遠く感じられるものです。当然ここに書かれることがどうとかいう以前に、普段から人の言葉をその場では笑顔で聞いてすぐ後にケチをつける、面白半分にしても茶化すという人は多いもので、自分が幸せから遠ざかっていることを認識する必要があるでしょう。
私が大阪からあまり出ないので、他の地域のことはもちろん海外のことなんてほとんど知るはずもないことは前提にしていただいて、その上で言わせていただくとそうした人を小馬鹿にするような事は誰しもが行っています。
無意識の価値下げというものがありまして、自分が師事しているわけでもない人の言葉を、無意識に否定するところから入ってしまう事は経験があるだろうと思います。しかし自分以外の人の価値に反発する事は自分の価値にたいする反発も呼びますし、客観的は判断や高い視点と言われるようなものとは程遠い状態です。
またビジネスセミナーなどに良く現れる人で、従ってあげるというスタンスの人も信じるというところからは遠いでしょう。信じてやったけど結果が出ないという人の中でもケチを付ける人の多くはこのタイプの人です。
宗教的になることが絶対的に良いわけでもありませんが、斜めに構えたままでは実際に得るものはより少なく、小さくなるでしょう。
幸せとは何か
幸せについても少しだけ考えてみます。人によって事象に対する幸福度は違う事は誰にでもわかります。例えば日本という国は幸福度が低いことで知られますが、生命の安全、食の安全、職の安定、住のの安全など他国と比べればかなり高い安定と安全を持っていることは明らかです。
つまり人の幸せは「慣れれば感じなくなるもの」だということです。
また幸福はここ日本においては特に、感じるかどうかであって事象そのものではないという事を再び意識しておく必要があります。それは大きなお金や名声が関わる事はあっても、それ自体が幸福ではありません。
心理学者マズローの5段階の欲求を満たそうとする行為であって、直接的な目に見えるもので測ろうとしているだけす。
実際どうするのか
さてこの数年瞑想が流行ったり少し定着しつつあります。私の場合かなり前からそういう時間は作っていましたが、スティーブジョブズやDr.ディマティーニなど本を読んだ中でも瞑想が話されるようになり再び意識した次第です。
瞑想のいいところはいろいろありますが、今回で言えば「幸せを回復する」ということです。
つまり現状で幸せだと思うことはたくさんあるはずなのに感じられなくなっている幸福を瞑想することによって感じることができるというわけです。
瞑想のやり方はいろいろあるようですが、静かな空間で目を閉じ呼吸を整えることが肝です。どうしても静かな空間などが難しい人は環境音などを流した状態でイヤホンをつけるといいのではないでしょうか。
呼吸が浅い人は一度深呼吸をしてから始めると収まりがいいですし、意識がどうしても巡ってしまう人は針のある腕時計などを用意して薄目でそれをぼーっと見るような感覚にするといいでしょう。
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はるか遠くにある幸せを求める事は素敵です。
しかし手元にある幸せを大切にできる事も素敵だと思います。