モテる必要性、学ぶ必要性みたいな話
モテとは
以前はモテるという言葉に興味を持つ人が多かったようですが、今では減ったそうです。草食化などと言われてますしその影響でもあるでしょうか。しかし私がモテという言葉を使うのは他に適当な言葉が見当たらないからです。
別なんでも構いません。人間磁石でも外見力でも八方美人のすすめでも。1つだけ注意しておきたいことはハーレムなんて考えないほうが良いということ。あれは男であれ女であれ若いうちしか作れずしかも作れなくなってからの老い方が異常に早い。どうせ自分は若いうちに死ぬとかいう根拠のない理由で手を出すのはやめておきましょう。
外面のモテ
さてここでのモテについてですが、関わりの潤滑剤であると理解してください。人は見た目がほとんどを占めています。顔の出来の話ではなく身なり仕草言葉という外に出る全てが見られているということです。
イケメンなら許されるという話はネットではよく出てきますが、実際に許す女性は少ないことが知られていますし実際に街を見渡しても顔の良い人ばかりが連れ添っている訳ではないですよね。
男性は女性に比べ見た目に対しての要求が強いそうです。これは男が助平だという話ではなく、いえ全く別の話でもないわけですがそれは置いておくとしても見た目が重視されているそうです。
この事は必要とされるために化粧や美容といった自己の美に対しての執着を生んだ一端かもしれませんね。ながくなりそうなので鶏と卵の話は今はやめておきますが。
逆に男性は生きる力が求められてきたために相対的に見れば自分の見た目を気にしてこなかった。しかし現在では生きる力がビジネス能力となりビジネスをうまく運ぶためには見た目要素が少なからず必要であるためにかなり気にするようになりました。
結果として外見でモテるという事が一部で生きる力を求めていることになります。
関係性のモテ
言い換えるとモテとは人に見られる事を知る事です。昔なら近所の人とも会話が多く気遣いはあっても助け舟は遠慮なく。人からの言葉は素直に受け取る事がルール化されていたので今ほど希薄にならなかったのかもしれません。
私はそれほど長く生きていませんから直接比較はできませんが、他人から学ぶべき事が今は出来ていないという現状は見てとる事ができます。
何かを言われる事に敏感になり、敏感になっていることに敏感になって何も言えない。なんでも言う人は傷つけるようにしか言葉を使えずさらに敏感な人を作る。
なんとも悪循環を繰り返している観が強いうえにそれを矯正するようなシステムもありません。大人は、特に子供を持つ親はこの状況に警戒をしなければいけないでしょう。
生活のモテ
モテを言い換えると生活必需品です。モテが必要とも言えますし生活必需品になる事とも言えます。要すると周りから見て便利である事ですね。
少し誤解を与える言い方になりましたが、間違いなく便利な人は一人ではありません。自分から働きかけなくても誰かがそばにいる事もおおいです。しかし便利な人は便利なだけで終わるというのもよくありますありすぎるほど。それが壁になってしまった人も多く知っています。
優しいだけでは頼りない便利なだけでは人間味がない、必要なのはモテるための便利さであってそれは自分を捨てたり主張がないこととは違います。
自立して生きていける事、それは家事、経済、コミュニケーションです。黙って任せきらない、黙ってやってしまわない黙って我慢しない、黙らないからといって言いすぎない。
そういう中身がモテであって生活力であって生活必需品です。
さてモテは必要ですか不要ですか。