早いコトはいいコトとか言っちゃってごめんなさい
早くやろうぜって話を書いたばかりの私です今日は。
早いコトはいいコトだと言っているとてめえのせいで雑な仕事が上がってきてこまんだよこのやろーと言われるので少し見方を変えて早さについて見ていきます。
早さを求めるゆえの失敗
世の中には拙速という言葉があるように焦ったりいたずらに早くしようとするコトで失敗するコトはよく知られていることですs。例えば焦るあまり中身を間違えてしまったり、大事なコトが抜けていたり見落としがあったり。
報告書を出してと言うと数行だけでどうしたいのかもわからないメモを渡されたりする事もあります。
どうしてもそういうミスが増える人はもう早さなんか求めんじゃねーよと思う人も多いでしょう。早くやれよといいつつも、ちゃんと見ろよとしか言えない人が上司だと組織としてもグダグダになってしまいますね。
早さの意味
それでは早さを求めるというのは人それぞれなのかというとそういうコトではありません。人それぞれなのは言葉。早くしろという言葉にはある程度の完成度も求められているわけですが、それを伝えずにそんなのは常識と言ってしまえばやらされる方は常に指示を出した人の常識に振り回されるコトになります。
指示の中でテスト1、テスト2、完成という流れを作るくらいはしないといけませんね。報告書も小さいプロジェクトで育てるという大きなプロジェクトだと思えば注意していけそうです。
もっと突っ込んで行ける人は要点に必要なものを指示するか、何を要点とするつもりか聞き出しておくのがいいですね。
意味の共有
組織の中で早さに対してこういう認識をするコトがあったとしてそれで万事解決するのかといわれるとそうでもありません。突き詰めていくと個人がどう頑張っていても組織として統一されないと個人の頑張りは実りにくいし、なんなら潰されるコトの方が多いです。
上昇志向や自己啓発、また組織の改善などは自主的にテスト1からゴールまで共有して数の力を作る必要があります。1人でなんでもできるという人は1人で組織にこういう力をつけてあげてくださいね。
結局早さは正義
個人の能力や状況に合わせるコトはあっても基本的にスピード解決は正義です。ただ早さにもその時に合わせた品質、内容があるということですね。
早さというか言葉は大事だぜってはなしでした。