幸せそうない人が幸せな理由
いつも幸福を感じている人
どんな風に生きてるのか知らないけれどとりあえず幸せそうな人っていますよね。羨ましいですか。
どうやったら幸せになれるのか、見聞きする情報を整理してみてもどうも腑に落ちない。自分を捨てろと言われている気がしませんか。
幸せな人はなんで幸せなのか見て考えてみます。
笑顔が絶えない
幸せそうな人は笑顔が多いです。笑顔だから幸せなのか、幸せだから笑顔なのかわかりませんがいいサイクルに入ってそうですよね。
そういう人は人のことを悪く言わない、もしくは悪く聞こえないように表現します。事実かどうかも関係なく、全く悪く言わない事は日本人だと難しいように見えますが表現を工夫するくらいならできそうです。
笑顔が絶えない人は周りにも笑顔を絶やさない人
積極的
幸せを目指自己啓発なんかだと積極性は重要だそうです。積極性と言っても、自主性とか能動的であるという事でいろんな事を人任せにしないという事ですね。
自分から色んな行動すると、結果が何であれ自分に責任がありますから人のせいにしないというのも大きい要因でしょうか。
逆説的に誰かのせいにすると不幸になるのかというと、人のせいにしながらその事を絶対責めない人は幸せなようです。人のせいにしながら責めないっていう事を想像してみると、自分はその人のフォローしたり許したりで優越感もあったりして誰のせいにもしない人より幸せなんじゃないでしょうか。
受容
穏やかな人というのも幸せそうですよね。なんでも受け入れてしまうというか寛容な人。懐の深い人は幸せそうです。
ところが寛容な人は無関心な人にも見えますが、そう思うと一気に幸せ感はなくなります。
この違いは、どうでもいいと思ってなんでも他人事にすると幸せではなく、どんな出来事もポジティブにまたは建設的に、前向きに取り組む人の事ですね。
理解
不幸そうな人を中心に見てみると、理解を求める人は辛そうです。人は求めるとそれが叶わない時に不幸を感じます。理解というのは中々思ったようにされないものですし一時のものでもありません。
会話でも自分からどんどん話すより、どんどん話を聞き出す人はどこへ行っても楽しそうです。自分から話すというのは一時的には楽しそうですが、長期的には避けられたりして楽しさが続かないですね。
常に幸せである必要はない
ところで、幸せな人はいつでもどこでも幸せで楽しくてしょうがないんでしょうか。当然辛い事も苦しい事も挑戦も失敗もあるでしょう。
それでも幸せそうであるというのは幸福感は常時あるものでなくていいということかもしれません。寝て起きたら次に日にまた笑える、今日は別の楽しい事がある、次はきっと。そういう切り替えや期待を持てる事が幸せである事と繋がりますね。
隣の芝
なんだかんだ言って、人がどうなのかなんて全部はわかりません。人の悩みを聞いたり相談に乗ったりしますが全然わからなくてもよくわかってくれた!みたいに言ってくださる人もいるくらいです。
自分以外の人にも喜怒哀楽がある、辛い事や悲しい事は軽く見えても本人が一番重く感じるという程度です。
隣で何かしていれば自分が同じものを持っていてもそれがよく見えるし、なぜかうまくいっているように見える。
幸せと言っても万能ではないという事が一番重要なポイントですね。