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愛と仕事と金

神様のせいにしたらだいたいうまくいく話

※注意 勧誘の類ではありません。

宗教でよく聞く言葉ですが信じるものは救われるというのはどういう意味なんでしょうか。
特に日本ではキリスト教ユダヤ教についての知識は薄いでしょうから、それぞれが聞いた事のある言葉を解釈しているというのがほとんどでしょう。

なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?


例えば信じる事自体が救いであるという人もいますし、信じなければ救わないから入信しろという悪意を持って感じている人もいます。ある歌には信じるものしか救わないセコイ神様なんてのもあります。

アナタハカミヲシンジマスカ?

これだと布教活動しばかにしてるっぽいですか。
では私の見解はというと、「神は人である」。
というところから始めましょう。そしてゴールは「神に押し付けて楽になろう」です。

神ってなんだ

もともと神は自然現象のようなものですが、いろんな話を継いだ結果ほぼ人になりました。怒って罰を与えたり、喜ばせる人を助けたりするわけですね。そんな中で元々の信じれば救われるという言葉もいろんな意味を持ったでしょう。

人というのは賢いんですが結構抜けてるもので、想像しにくいものをすぐに身の回りのものに置き換えるんですよね。当然神様もその対象でどんどん色んなものに置き換えられました。初めは一つだったものが増えて、その内「それ全部神ひとりの自演だから」みたいな話になったりします。
神のしもべの仕業なんて事もあって超常の力も神だけじゃ無いんだなーと思ってみたり。

変化はいろいろあるものの神はどうなったのかというと、元々人が認識できる範囲でしか存在しないですから超常以外の部分で見れば人です。怒るし泣くし笑ったり恋したりしてます。

ここで信じるものは救われるのかという話ですが、人は自分を信じてくれる人しか救えません。結果としてそれ以外の人を救う事もありますが、中々困ってる人を助けるというのは難しいものです。自分を拒否する人を助ける事を想像してみてください。どんなアドバイスも否定され、どんな励ましも嫌味にとられ、じゃあ話を聞いてるだけにすると聞いてないと怒り出す。身に覚えがありませんか。

神が人であるなら神が救えるのも信じてくれる人に限られるんです。懺悔しようが形だけ参拝しようが礼拝しようが神に救えるものでは無いんですね。

あーあれです。別にキリスト教に入れとかちゃんと信じろって話じゃ無いです。

あと神の言葉というのはそれぞれの宗教に既にたくさんありまして、それを信じればと言い換えるとわかりやすいかと思います。人間的に信頼されたり成功した人が残した言葉のようなもので、先人の知恵というやつです。

そう思うと入信しないまでも、勉強してみる価値はありますよね。


かみさまに押し付けよう

しかしどうして神様は不幸な出来事をおこすのでしょうか。いるなら起こすなよという人もいます、気持ちはわかります。

しかしそこでも神様は中々頑張ってくれてまして、試練だというんですね。そういえば思い出してみてください。英語圏ではとんでも無い事が起きた時、思いがけないいい事や悪い事が起きた時にいう言葉がありますよね。

「オーマイゴッド!」

今はそんなに使われないみたいですが、ガッデム!とか少し形を変えただけです。言ってる本人達は意識してませんが便利な言葉なんですよ。何でもかんでも「神様なにしてんねん!」と言って神様のせいにしてるんですよ。

この言葉を使って良いことは目の前の事を放り投げる事ができるという事です。
人の問題の9割関わってます。確かそう言われてました。違ったらそういう事にしておいてください。

人が関わっているものですからどうしても目の前の人に文句言ったりケチつけたりしますよね。そんな時かみさまのばかたれ!といって神様のせいにしておけば一旦横に置けます。一旦横に置けば落ち着けますしそのあとの事も考えられる、何より目の前の人に文句を言わないんで問題が大きくならない。

日本人は建前がどうとか言いますが、実はものすごく取り繕うのが下手で横に置いておくのが下手です。外人さんは文句言う時もキツさがあまりなくて、言い換えがうまいんですよね。これが長年神様のせいにして吐き出してきた人と、建前と言って自分の中に押し込んできた人違いです。

だれかのせいにすると角が立ちますから適当な神様のせいにして平和に生きてくださいましね。