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素敵なはなし

素敵な話になればいい話、色恋と仕事

言葉はジャックナイフ!シャキーン、気をつけな。

幸せで楽しくて不幸で健康で死にそうで1秒も無駄にしない皆様おはようございます。
親に死ねと言われる気持ちは分からなくもない。言う気持ちもわからなくないしどちらもわかると断言するほど他人の心は読めていません。

言ってはならない!その一言―人はなぜ「不用意な言葉」にムッとするのか


昔の話ですが親に死ねというようなことを言われたことがあります。実際には死ねと言われたのか覚えてないんですがそれくらいのことを言われたっぽいというだけの記憶です。その頃は死ねなんていう言葉は言葉そのものが名前が残るほどの刀のようで使うことは出来ないし、他人同士が使っている言葉にも手榴弾の投げ合いをしているように感じて近づきたくありませんでした。なんでそんなに神経質になっていたのかは知りませんが言葉にある力は否定できません。

私の知り合いは告白した相手に好きを証明するために死ねと言われてその通りにしました。また言った相手もその後同じ道を歩きました。もちろん実際の理由は知りません。しかしこんな事は日常茶飯事です。誰かに言われた言葉は常に誰かに重く強く残るものです。

本人以外の人に残る事もよくあります。誰かとその場にいない人の事を笑っている時本人は聞いていないけれど話を聞いた人は実は自分が言われたのと同じように感じる事がある。誰にでも少しは思い当たるることだと思いますが、そんな経験がないとすれば幸せかもしれませんし不幸かもしれません。自分が感じれば辛いですが、自分が感じるからこそわかることもありますからね。

死んだり死ななかったりした私も今ではすっかり鏡を見ながら、前からこんなに頭皮は奥まで見えていたのかと悩む程度の歳になりました。 今は死ねと言われればそう思わせるほどのことがあったなら申し訳ないなと感じるものの死のうとはあまりおもうことはありません。
別に完璧に幸せばかり感じているわけでもありませんが、幸せしかなければ不幸だとも思うのでやはり私は幸せでしょう。そういえばツイッターを始めた頃普通の友達もフォローしたりされたりしてました、今はやめてます。会えばいいかと思う距離の人たちですし友達相手につぶやくこと思いつかないんですよね。始めの頃はこんな話をつぶやいたりしてたわけです。別に誰かに言いたいことでもないですしね。そしたら友人から厨二病かよwwwみたいなことを言われてしまったんです。ショックだったとかそういうことではなくて、考えることもしないんだなと思いそこでつぶやくのはやめたわけです。そしたらつぶやくことそのものが無くなってしまったんですけどね。
今の私のツイッターは幾つかの言葉と恥さらしで構成されていますね。ツイッター初期から使っていますが便利さは感じたことがないです。誰かおしえてくれませんか。

そんなこんなで人は軽くいろんな言葉を使いますが、言葉に敏感にもなっています。慣れた言葉には強そうに見えてじわじわ蝕まれています。虫歯のように日頃の気遣いが大事だよってお話でした。

ついでにミスドに行った時の話。
皆さんの期待ほどミスドに行かなくなっている私ですが、月一以上では食べています。いつものお店が二つに増えて月一を交互に行ってる感じ。その片方で食べたハニーディップが異常にフワッフワで同時に食べたクロワッサンドーナツも異常にぽってりしてたんですよね。
行かなくなったとはいえ前に生地が変わってからそんなに経ってないですし、油が違うのかとか揚げ方が違うのかとか色々悩み中です。因みに一因としてドーナツ同士が重ならない平置きである事、出来たてかもしれない事というのがあるんですが平置きが多少ありえるくらいです。

美味しいんで文句じゃないですよ。不思議なだけです。いや文句かもしれません。あれができるなら常にあれ出せやと。