素敵なはなし

素敵な話になればいい話、色恋と仕事


小さい頃は好きじゃなかったんです。美味しいものを食べなかったとかもあるのでしょうが、肉とも魚とも違うあれを許容できませんでした。
刺し身が食べたいのに出てくる寿司のネタのせいもあります。大皿に注文する事が殆どだったので幾つかは鰻か入っていました。大人の美味しいから食べろという虐めのようなものは更に鰻を遠ざけるものになりました。

川口水産 国産うなぎ3種組み合わせセット かば焼き 合計約300g たれ・山椒付き グルメ ギフト

その気持ちは食道楽とも言えぬほどの食への興味を持った事から始まりました。大学は遠く二時間はかかる場所でしたから途中にはたくさんの駅を通ります。人の多そうなところに降りて安い店に行きます。特にその頃はまだ食べたいというだけで食の知識も薄い子供ですからわかりやすい店ばかりに行きました。

仕事についたのは周りと比べれば大した事もせず大した志もなくしたくない事をしなかっただけですが大きな街の中につとめることになりました。余裕の出来た財布と都合の良い場所のおかげで随分食べ回りました。その頃漸く鰻も食べたいと思うようになりました。ただ年を積んで親父臭いと言うものも感じなくなったのかうまそうだったのか覚えていません。ただ拒まなくなった鰻にうまいと思ったことはありませんでした。

店も覚えていないのですが、鰻を食べに行きました。テレビで見るような反応をしたかったのかもしれません。あのブラウン管越しで見ていた反応はわかりやすくそそったので鰻重を食べたくなったというよりあの行為をしたかった。美味しかったです。

米はタレがいきわたり繋がりが柔らかくなっていたので箸に乗せるようにしました。タレの香りは米の熱で増幅されて喉から下に入らず口や鼻のあたりを漂っていました。タレの甘味は小さい頃には要らないものだったのかもしれません。しかしその時の甘味は必要な旨味として認識されたようです。

鰻は少々焦げていました。正確には焦げた味がしました。時々うなぎがダメだという人がわざわざ鰻重の鰻を返して皮を確認しているのを見たことがあります。私はその様を見るまで返そうとすら思ったことがなかったので不思議な人間だと不便な知識だと思いました。
焦げは嫌なものではなくタレの甘みやうなぎの味とよく合っていました。それに皮に焦げをつけることで食べやすくもなっていたのではないかと鰻返しの友人を見て思いました。

ほふとかふうとかそういう音がするように思います。箸を入れたくらいで鰻は音を立てることはありませんがそんな絵を見ていた私にはきっと聞こえたのです。
口の中でも鰻はふうといいます。これは熱い米を入れたせいで息をぬいたからです。何度かほうふういうとあとは満足するだけでした。

今でも変わらない感想といえばうまいものはうまくうまくないものはうまくない。
液晶にほだされる事もありますが、うまいものを食べた時は嬉しく感じています。