smile seeds

愛と仕事と金

天麩羅



我々は僅かに休息を得ると、自分を挟む竹から意志を受け取り皿に並ぶ。それは熱い白湯毛の中の白い米かもしれぬ。我々の望みは皿を選ばぬ。ただ取り残されぬ事。此処まで来れたことももはや奇跡のような数多の分岐を越えてここまで来たのだ。さあ運べ。


熱さは適当であるか、量はしっかりあるか、屑が混じっていないか我々の知るところではない。ただ待つのみ。今は禊を終えて何も纏わぬ身体を、行儀良く並んだ状態で保つ。熱き儀式の直前には衣を素早く着け飛び込むのだ。覚悟はもう決めている。此処に臆するものなどいない。


地域に寄って、その時々に寄ってもやり方は変わる。勿論個性に合わせても変えられるのだ。我は一度湯を泳いでいる。元は大きな身体なれど今は薄く整えられている。橙の身を晒し、深い青の表面は削ぎ取られた。隣に居るものは如何か。尾の先を少し切られ、背中を横に何度も切られ姿勢を正されて居る。


どうも暗く冷たいところ。揺れと共に横のものと身を当て合う。当たるといっても離れているわけでもない。私達はその時まで殆ど離れずに過ごす。ここに入った瞬間から殆ど離れる事もなく尽きる道もある。端が見えぬほどいた私達もここまで来れば僅かな同種と私達を覆う木っ端と直ぐ近くに見える白い壁。


さくと鳴り乍ら身一杯に溜めていた自身を放つ。透かさず白粒が飛び込む。この身にも白粒にも十分に色が付いている。次に次に忙しく身を減らしていく。それはこの場合ならではである。匂いを閉じ込め熱を閉じ込め期待を膨らませる朱の椀、黄金の野から剥かれ磨かれどの道でも選ばれる脇役の白粒、幾多の道を経て遂に終局である此処にきた我等。さあ終わるのだ。


ああ、晒されている。通るものは忙しく行き来する口達。もう私を見向きもしない。半身となった身体はその張りを失い熱も無く皿と同化しているようですらある。そう私は取り残されたのだ。理由はなんだったか。時が無かったのか。白粒が量によって主張しすぎたのではないか。油が悪かったのではないか。皿が冷えていたのではないか。いやいや口がよく動かなかったのではないか。私にはもう道は無い。ただただ無である。
牙の生えた口が私を攫っていく。助かった。私は助かった。ああ有難う。

おばけのてんぷら (絵本のひろば 29)



#ただの語り
ひとし!(Hitoshi Tadano)
ただのひとです。思考する葦。発言する肉。よくする話→恋愛、人生観、自己啓発宗教観(未入信)、のお話とすきなコーヒーとガジェットについて http://howto-mote.hateblo.jp/ @ht_tadanoで各種相談募集中