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愛と仕事と金

言葉の大切さ

言葉の齟齬によって関係が悪化することはよくある。

「こう言ってくれたらよかったのに」「だからそういったじゃないか」
そんな最後のやりとりは昔も今も変わりません。

言葉は良くも悪くも持っている意味が広く、人によって言葉の使い方も変わります。そのためになんとなく話したことが誤解なく伝わる人同士はお互いを運命の相手のように思ってしまいます。しかし伝わるとこは伝わらないこと以上に恐ろしいもので、ある日伝わらない事があると一気に悪化したりします。

好きを伝える。

A「好き」そういうとB「ありがとう私も」そんな素敵に見えるやりとりですが、このなかに大いなる誤解が生まれています。最初のAの「好き」は相手に対する恋愛感情を含まない好意だったからです。しかしその言葉に舞い上がった後者Bは「私も」なんて本気告白してしまいます。しかしAは自分が気軽に伝えているのでそれが本気であることに気づいていません。Aはこの後すぐ別の人間に告白されて付き合った事を嬉しそうにBに伝えてしまいます。Bは裏切られたと感じるでしょう。なかよくやっていたはずなのに!と。
WEBでではLINEやSkypeで文字や音声だけのやりとりで恋愛になることも多く、こういった事は対面するよりも多くなるでしょう。

言葉の齟齬は怖い。

携帯電話がなかった頃。待ち合わせは大変でした。わかりやすいものの前で待つ、時間は確実に守る、遅刻やいけない場合はさらに素早く伝えるそんなことが当たり前でした。ハチ公前にはそんな人達が大勢いたわけです。
少しもあやふやに出来ないこともあります。
C「じゃあ高島屋で」
D「はーい」
このやり取りが彼らの別れの合図でした。待ち合わせに現れなかったことをお互いになじりあいます。
C「なんでこなかった!こないなられんらくくらいしろ!」
D「何を言ってるの!こなかったのはそっちなのに!」
C「入口の外にいただろ!」
D「寒いのにそとにいるわけがない!なかにいたよ!」
こんなやり取りは丸く収まることもありますが、一旦意思疎通ができなかったとなると急速に離れるのも人の心です。

時代は変わって。

顔を見ない文字のやりとりは増えましたね。携帯の登場で顔を見ずに電話することがこの手の齟齬の始まりでした。やがてそれはメールになり定額になることでさらに加速。LINEやチャットツールの登場でパソコンでネットを常時使っている人達だけで多かった事象が一般的になりました。しかも、伝える言葉はどんどん減り簡素化されてきたことで自分の事を伝えることもままならない状態になりつつあります。少し頻度の低い言葉を使うと分からないと言われたり、伝わらなかったり。

伝える努力と感じる努力

簡単になったやりとりとは裏腹に、その言葉から真意を伝えたり感じることは難しくなっています。いろんな角度からその言葉にアプローチしたり、違う言葉を使って繰り返し伝えることで齟齬をなくしていく必要があります。その努力を楽しめる人はコミュニケーションの得意な人でしょう。またこのことを知っておくことは、言葉の齟齬に対しても寛容になれます。それだけでも自分と周りとの関係は少しすてきになりますね。


言葉は人を表す。

言葉遣いやその内容が周りから見えるその人そのものです。これまでの自分を否定する事は虚しいですが、これからの自分に目を向けることは素敵なことです。お互いの言葉を擦り合わせていく関係はとても温かいものに見えます。自分の言葉が変わってもそれを出す自分の根本は変わることもありません。ある人は「自分が個性だと思う全てを捨てて残ったものが本当の個性だ」といっています。私はこの言葉正しいだろうと感じています。言葉はその人であるけれど、その本質は言葉遣いを変えても変わりません。

最初の「好き」が本当に素敵な関係を作る言葉である事が変わらないように。

自分の思いと相手の思いがずれた時、思わず苛立ちを覚えます。しかし相手の中に悪気、悪意がないのにも関わらず怒りをぶつける事はタダの自分の発散で、帰って来るものは本当の悪気でです。そうならない為に、思いのズレには目をつぶりましょう。楽しみましょう。笑って過ごせば楽しくなる。


伝え方が9割

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