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愛と仕事と金

仕事を楽しめるか

仕事を楽しむ
3領域

 私は生きていく上で三つの領域を意識することが必要だと言っています。それぞれは重なる部分を持つ領域ですが、それは個人、家庭、仕事で大まかには関わりの広さで分けられています。
 「個人」は一人きりになることではなく、趣味などを含めた自分への働きかけや自分自身との付き合いです。「家庭」は血縁でなくても家族といえる集合です、大きな意味で恋愛も含みます。最後に「仕事」です。仕事は社会全体への関わりであり自分の能力を身につけ発揮する場所です。

 この中でどれが大切ということではなく全てを満足させていく、納得させていくことが必要です。その中でも関わりの規模の大きさから仕事は問題視する人が多いですね。生きていくために必須ともいわれます。しかしそこに人間的な義務はなく何をもって社会と関わるかは自由です。仕事だからと自分の身も心も削る必要ありません。

 汗をかくこと、努力をすること、疲れること、ストレスを感じること自体は悪ではありません。そこにも自分の出し方、自己表現のし方が大切になります。社会と自分は対等です。そして必要とされている仕事は全てプライドもてるものです。

詳しくは省きますが、最近はニートも安定して一定数いると思いますが、働く方法や社会との関わり方としての新しい段階にあるように見えます。商品、市場、流通が全て変化している中で生まれつつあるなにかです。
既存の雇用の中で光る力、新しい世界から生まれているスタートアップの数々、関わり方そのものを変えようとする可能性。

仕事は自分から関わっている世界です。大きく稼ぎになるかどうかは原石、カット、研磨が揃っている必要がありますが、あなたの出来ることは全て仕事になります。細分化の激しいサービスにおいてあなた一人の力はとても大きいでしょう。マッチしない市場はありません。流通できないものはありません。

また今ある職場からみてもあなたの価値は十分に大きい。あなたがどれだけ虐げられても、抑圧されていてもあなたを磨く機会にしか過ぎないでしょう。新しい社会との関わりに気づくきっかけの一つになるでしょう。別に仕事をやめろとは言ってませんよ?その場でも関わり方は変わるものです。変えられるものです。楽しめるものです。

「個人」の領域から見ればまた少し考え方があります。苦しむことは人間の自然な事ですから楽しんでないことが悪ではありません。好きなゲームの練習や、スポーツの練習を泣きながら血反吐はきながら辞めたいのにやり続ける人は特殊な環境です。仕事はそんなものです。ゲームです。スポーツです。

「家庭」からみれば仕事は、職場は恋愛であり愛です。家庭です。そこに生まれるストレスや喜びは家族として見ればまたちがうでしょう。