信用のしかた
信用するというのは難しいもので裏切られたり失敗したりして関係が悪くなったり縁を切るなんてこともありえます。
しかし話を聞く仲には信用したことや相手が悪かったというよりも信用のしかたが悪かったんじゃないかと思う事が多くあります。
大企業と消費者
何かの契約をした時契約書によく読まないけれど細かい文章がつらつらと書かれている。商品を買った時保証内容や注意についてつらつらと書かれている。
こういった文章をちゃんと読む人はあまりいませんが、もし欠陥や問題があった時どうするのか、誰がどこまで責任を負うのかが書かれているので重要な部分です。
ネットで少し話題になりましたが、契約の内容に書かれているからと不当に高額なローンがくまれていたり不要な商品を購入させられていたりしたという話がありました。しかし契約書には確かにそうするぞと書いてある。悪いのは完全に業者側ですが、読まなかった人の責任も生まれるものです。
そうなると大抵の個人は弁護士に相談するとか消費者センターに相談するとかなれないことはできないものですから泣き寝入りというパターンになったりしがちです。
また契約書には結構な頻度で出てくる嫌な言葉があります。「この内容は一方的に変更することがございます」は?もうそれ何でもありやんけっていつも思います。周りに話してもそんなことしないでしょって言われるんですがした企業が結構あるんですよ。今は重要だと企業が判断する場合はメールで連絡がきたりしますけがそれでも嫌だと言えるわけではありません。
信用するしか無い状況というのは個人間でもありますが、こういうのはある意味パワハラってやつですかね。話題になんないかな。
大人の信用の仕方
信用というのは信じて任用する、信頼というのは信じて頼ると書きますが意味としてそう違いはありません。しかしどちらも「受け入れる」という意味があります。
その割に信用したのに裏切ったとか失敗したとか怒っている人が多いですね。そんなふうに怒ったことありませんか?私は借金を作った理由が裏切りということでどちらかというと悲しかったものですが、それも含めた経験や話からわかったことがあります。
信用は「自分で挽回できる範囲でする」ものだということです。当たり前だと思いましたか?しかしこれを実際に行っている人はいないから怒る人が多いんです。 人は失敗したり間違ったりするのは普通のことですが、どうも周りにそれを許せないようですね。
これは別に我慢しろというのではなく、生き物ってそういうものだと理解しようということです。 そのためにまずは失敗する可能性を受け入れること、その失敗を自分もしくはチームで挽回できる範囲に抑える範囲で信用すること。この二つができれば怒る必要はほとんど消えてストレスのない様に生きられます。
それでも失敗ばかりする人というのもいます。私もどちらかと言うとそういう人間で普段それなりなのに定期的にミスがあるので今は個人で仕事をしています。私は誰かに、チームに助けられることに罪悪感をどうしても感じてしまうのでそうしました。今チームで仕事をしたらまた違うのかも知れません。
さて失敗ばかりする人はどうすればいいのか。数人程度の少人数のチームで無い限り排除はしないほうがいいでしょう。そういう人は常に一定数いるからです。排除するよりも排除しなくても成り立つチームにするほうが建設的です。常にマイナスに振れることを考えておくんですね。
これが個人間の信用、信頼でも成り立ちます。相手に任せるということは失敗することも受け入れる覚悟をしなければいけません。失敗を想定しなかったのならそれは自分のミスであって責めるようなことではないということです。
大人を信用する、してもらう
子供の頃は大人は無条件信用の対象です。しかし約束を破られ嘘をつかれていくうちに「大人は信用できない」と思います。「人は」とならないのは不思議ですね。実際には誰だって嘘をついたり失敗したり、そうしたくても出来ないことが必ずあります。
子供に信用して貰うには人というものを説明するほうが早いものですね。ちびっこには難しい話をしない大人が多いんですが、少しずつでも理解してもらうには離すしかないですし理解させる言葉使う練習になっていいですよ。