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愛と仕事と金

自分をコントロールできているという幻想

人は自分を騙すのが下手である。 多くの人が理想の自分について様々なチャレンジをしているが、ほとんどの場合僅かなチャレンジで元の木阿弥となる。ダイエットも勉強も禁煙も

それは誰が悪いということよりも、自分を騙したうえで思い行動することが難しいということを示している。

理想の自分、いつもと違う自分になりたければ様々な条件を作り自分を騙す方法を見つけなければならない。

なぜ意志の力はあてにならないのか―自己コントロールの文化史

今の自分のままでいいかチャレンジは必要か

 変える必要性について考えるとマナーや習慣の事を先ずみる必要がある。マナーは必要であり悪習慣、悪癖は変える必要があるということに関して否定する人はいない。また自己の成長というのは社会に出ると自らの意思を持たずになかなかできるものではなくなってくる。そういう理由からみると自分の変革、チャレンジというのは必要なことだといえる。

 一方で自分のままでいいという事も言える事に注意しなければいけない。自分というものを大事にするというのは自分を安売りしないという意味で、自分の意思を持つという意味で重要である。しかし安心してもらいたいことは、人は変えようとしても変わるものではないということだ。

 例え新しい習慣ができ、これまでの癖が抜け、全く見た目が変わったとしても根本的に人間は変わらない。何をどうやってもアイデンティティが無くならない。無個性と言われたとしても個性はある。自分が個性だと思うものを全て捨てて残ったものが本当の個性という言葉もある。

 勉強や経験は時間と共に自分を変えてきたこともまた誰も否定できないが、自分が自分でなくなったなんてことはないだろう。自分の生活が変わることはある。自分の一面が強調されることもある。しかし根本的に変わるわけではない。

 格好を付けた事を言えば、どんな困難も自分を狂わせることは出来ても自分でなくすことは出来ない

自分を知る

 全ての人は自分をコントロールできていると思っている。しかしそれは幻想で実際はしたいことの9割は霧散することになる。何もできず何も成らない。それは人が平穏に生きるために必要な自己制御でもあるが、その延長で自分が本当にしなければいけないことさえも抑えてしまうことは成長にも進歩にも邪魔になる。

 実際にコントロールするためには自分を知り自分の行動原理を解明しておくとまではいかなくても、自分を昂ぶらせるコツくらいは知っておかなければいけない。

 ある人はご褒美で自分自身を釣り、ある人は自分に罰を与えて堪える。しかしそういったものさえ自分を騙しきれない事が多い。自分は自分に甘く、優しく、ぬるま湯を用意してしまうものなのである。

 瞑想やストレスフルという言葉はもう説明もいらないくらいになっただろうか、それは自分を知る上で助けになるだろう。自分を知るためには他に、記録という手がある。簡単なものは日記で、もっと今に合わせるとSNSの投稿である。ただし、SNSは記録というよりも見せるためのものになっているので別個に閉鎖的な記録用を持っている方が良い。

 記録を見返すことで自分を再認識すると面白いほど自分を知ることができる。恥ずかしいものもでてくるだろうが、記録としてじっくり見てみる事をおすすめする。

 試す

 少し自分を知ったからと言ってやはり自分は思い通りにならない。そこですることと言えばチャレンジアンドフィクスだ。他の言い方をすればトライアンドエラーとかPDCAとか。とにかく何回もやりながら調整しろということである。

 企業努めが長く、マーケティングなんかかじるとこの辺りで難しい言葉を遣いたがるけれどようはやらなきゃわからん、やりながらどうにかしろということでそれは人間がずっとやってきたことを再確認しているだけのことでもある。

 しかしわざわざ口にしてやらないとやらない人のきっかけにならないので仕方なく偉そうな言い方をすることになる。

やり直す

 失敗は成功の母。とはいえ続けばくじけることもあるし、一度の失敗が人生を変えることもある。だからといってどんな失敗も、例外なく全てのどの失敗も終わりではない。その瞬間を見れば人生が終わったくらいの衝撃や苦しみもあるだろうけれど、それで終わりにしてしまうようなことは勿体無い。というよりも馬鹿らしい。

 せっかく失敗を経験できたのにそれを次の世代にも止めておけとしか言えないのだ。いつまでも失敗を消えない傷のように眺め続けるのだ。

 そんなことはしているくらいなら成功するまでチャレンジと工夫を続ける方が楽しい。どうせ人生で自分が決められることの量はたかが知れている。その少ないチャンスからさらに手を引くなんて自分のことでなければ文句をいうに違いない。

必要な要素は感情

 自分をコントロールするのに必要なことは幾つかあるが、感情が大きな要素となる。古い話題で申し訳ないが北斗の拳ケンシロウはいつだって怒りを力に変える。それは一般的な人間でも同じことだ。

 怒りは盲目になる。怒り任せになら普段しないことをするという人は沢山いるし、それを自分のチャレンジに活かせばいいのだ。どうでもいい誰かのことを怒りのために考え続けるなんて悲しすぎる。怒りを持って新しいことにチャレンジするのか行動量を増やすのかすればいいのだ。

 悲しみは打ちひしがれる。力が入らず心が枯れ、寝ているのか起きているのかすらわからなくなる。しかしそれも力になる。動く力ではなく止めるための力になりやすい。不要なものを切り捨て体を絞り行動を絞り本当に必要なものに集中するのだ。

 喜びは有頂天になる。考えを止め行動を止め前進を止めてしまう。しかしその感情を行動につなげると人の関係に繋がりやすい。笑顔に魅力が増し言葉に力が出るので関係がよくなる。新しい関係もこれまでの関係も喜びを利用してやれば上手く運ぶのである。

簡単なのは外部圧力

 日本ではアメリカの影響力が大きいというのは周知のことであるが、1人の人を見てみても外部からの圧力というのは大きいものである。つまり、自分をコントロールするためには他人を使えということである。  例えばプロのスポーツ選手はトレーナーを必ず付けている。大きな企業の上部の人もトレーナーをつけていることがよくある。後者のトレーナーというのは肉体を動かすためのものではなく、自分をコントロールするためのものだ。有償か無償か、専門家かどうかは別として考える必要があるが、このトレーナーというのはかなり有力な自分のコントロール素材である。

 何でもいうことを聞くように生きると言うのではなく、自分をもう1人外におくようなもので会話と知識が自分のあらゆるコントロールに有効である。

 他人は自分よりも冷静である。特にトレーナーは冷静であるために存在する。自分が怒り悲しむ時に冷静な言葉によって行動を促してくれるのだ。人の意見を聞きたくないときでも自分の言葉を聞いてもらうだけで十分に自己コントロールに役立つ。

 トレーナの相性というものは確かにあるものの、選び放題と言えるくらいにはその手の人は多くいる。かく言う私もそんなことをすることもあるくらいだ。

自己コントロール

 コントロールについて普段考えることはほとんどない。しかし一日の行動や一週間の行動をチェックしてみると驚くほど無駄な行動が多く、必要な行動が少ない。

 それを知るためには書き出すのが一番で、手帳に書くことがないいような人は初めは苦労するかも知れないが一日にしたことをできるだけ書き出してみる必要がある。

 またそれぞれの感情についても書くのが良い。冷静な時に怒りや悲しみの感情の時に何をしたか思い出してみよう。

 もっと高度にもっと強くコントロールをするならトレーナーを探そう。週1や月1で自分のすることについて話せる相手を作るだけでもいい。ただし、愚痴を言うだけならそれは相談でもトレーナでもないのでそれこそ止めるべきだ。一般的にトレーナは近すぎず遠すぎない関係の人が向いている。思いつかないなら仕事として依頼すべきだ。

「思考・感情・行動」が思いのままになる!   世界一カンタンな“自己コントロール