我慢すればいいわけがない
これは我慢すれば済むから。 我慢しなきゃいけない。 我慢どころ。
どうにも我慢が好きな人が多いようです。言葉遊びのような部分も入りますが、言葉というのは大事なもので我慢というのは代替できればかなり人生を変えるために役立つので注意してみていきましょう。
我慢とは
これは個人の感覚の問題で辞書を引いて出てくる言葉の意味は関係ありません。なのでここで言う我慢と同じ意味で自分が使っている言葉があるなら、我慢と言っていなくてもそれは問題があるということです。同じく、我慢と言っていてもここでいう意味と違うのなら問題はないかも知れません。 ないかも知れないというのは言葉に出すということは周りに影響を与えることだということを示しています。たとえ自分はそんな意味で言っていなくても、周囲の多くが違う意味で捉えているのならやはり問題になるということです。
ここでいう我慢とは「感情や気持ちの昂ぶりを無理やり押さえ込むこと」です。抑え込まずにどうするんだという話は置いておいて、直近24時間で一回でもあるのなら要注意、3日以内にあったなら改善の余地ありです。まあこの基準に意味はないので我慢に関しては常に改善を試みてほしいところです。
違う言い方をすると我慢とは「理解し理解されることを諦めた結果」です。
我慢はだめなのか
何故我慢がだめなのかといえば、何も解決していないからです。我慢はなくなりません。そのまま放って置いても消化も吸収もなくただ溜まります。初めは気づかなくても湖のヘドロのようにゆっくりそこに堆積して汚染していきます。
溜まった我慢はどこかで発散するしか無く、酒ややタバコ、悪ければクスリや凶行に至ります。
自殺やキレることもこの多くは「我慢の結果」なのかもしれません。
我慢の代わり
「折り合いを付ける」「解決する」などと言った言葉は我慢とは遠いところにあります。一方一番遠いのは「関係ない」「どうでもいい」と言う言葉に思われがちですが、これは寧ろ我慢の言い換えに過ぎません。
相談を受ける側はよくわかることですが、どうでもいい、関係ないと言いながらいつまでも何度も同じ話をしながら苛立っているものです。
もし本当に我慢という言葉を使わないのなら「相談」が先ず第一です。そして「解決」よりも「論争」を望むべきです。
基本的に人は自分の思うようにしたいもので、もちろん自分もそうであるし相手もそうであるので簡単に解決に至ることが初めは少ないでしょう。しかしアサーションというような積極的に自分を出しつつぶつからないというのははじめはむずかしいものです。ぶつかることでしか間をとることは出来ないし、その先のお互いを真に思いやった解決案というのは出てきません。
なので最初のうちはぶつかりながらの吐き出しになります。その中でレジリエンスと言われる精神の回復力や柔軟性を身につけることになります。アサーションもお互いにうまくなるでしょう。特に自分が上司であるならチームにはこういうスキルを促す必要があります。
我慢が最終的に必要な場面だって必ずあります。どうにもならないことはたくさんあります。しかしどうにもならないと初めから思ってしまうのは、物分りが良いわけではなく足りていないだけです。