素敵なはなし

素敵な話になればいい話、色恋と仕事

愛に飢えたときの対処

 冬は人肌恋しいなんて申しますが、何もただ人のぬくもりが欲しいだけなんてことはあまりありません。そこには愛というものが必要不可欠であると、言わずとも、知らずとも人はそういうものでございます。

GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 (単行本)

 愛はぬくもり

 愛を表現するのは難しいことですが、その一つはやはりぬくもりと言う言葉になるでしょう。そのために秋冬には人肌恋しいと言う思いや言葉が溢れるわけであります。  たとえば手を繋ぐ行為は愛であります。若者も親も大人も他人も手を握り合うことで愛を感じ伝えることが出来ます。もちろん握手と言う行為もその一つと言えます。

 抱きしめることや性行為もぬくもりを感じることですが、特に性行為なんかはそれ以外のぬくもり以上に欲求のぶつけ合いでもあるので愛情として過剰に感じすぎて依存することもあるようです。

愛は貰うだけじゃない

 花は水をやらないと枯れてしまいます。水をあげても枯れてしまうこともありますが。そして何を得るかといえば一言で言えば癒やしでありましょうか。

 この癒やしはいつ得られるのか。花が咲いたときか。いいえ。水をあげている時に既に癒やしは得られています。経験のない人にはもう少し別の例えを必要とするのであれば、それは奉仕活動のたぐいです。そしてこれも経験がなければ、すぐに思いつく代替案がないので想像で賄っていただきたい。

 人は与えることで愛を充足することができる。

 これは少し前に賑わった話でもあるのでご存知の方もいるかもしれません。与えることで得られる理由は幾つかありますが、今のところ後天的なものではなく先天的にそういうものだと言えるようです。

愛は自己満足

 しかし、与えるという行為は自己満足とか偽善とかまあなんのかんのと言われることであることは辛い人もいるでしょう。

 それを言うだけならともかく叩くことさえあるのだから人というのは不思議なことです。知らない液晶の中で起きたなら美談として受け入れるのに、目の前で起きると叩くところまで至ってしまう。其の理由の一つは自分がそこに参加しなかったということもあります。

 文化祭や地域の祭りが思い出しやすいでしょうか。自分が参加していれば楽しく感じるのに参加していなければ汚く見えることすらあるようで。

 つまり周りの言葉は参加しなかっただけの言葉であります。悪意はもちろんありましょうがその悪意に持続性はない。いっとき昂ぶった感情であるだけの言葉だということです。

 それは人の言葉は聞かなければいけないものとはいえ自分の愛と正義のためには聞く必要のない言葉でもあるということです。全ての行動が周りから喜ばれるなんてことはありません。違う人がやるだけでも反応は違います。だからといって自分がやらない理由には足りないものです。

 やる理由には自分の欲しい癒やしも愛も含まれる。つまり愛するというための与える行為は愛されるのと同じようなものであり自分だけでその行動を肯定できるものであるということで、今回の思考の締めとさせていただきます。