素敵なはなし

素敵な話になればいい話、色恋と仕事

考え続ける事が大事

 大人になると考えは固定しがち。自分がそれを認識していなくてもいつのまにか老害と言われる、固定観念、古いと言われるようになる。

 それは大人に鳴ったからではなく時間が経ったから。つまり子供でも新しい経験が少なく思考が減ると同じような状態になる。常識も普通も価値も社会も同じように見えて変わっている。変わっているように見えて同じ部分もあるけれどそれは抽象度の高い世界の話。目の前にある全ては変わっている。

 固定化した思考はサボりで、不幸で、傲慢で、不運だ。

漫画 君たちはどう生きるか

思考との出会い

 思考は出会いだと思うことにしてみる。別にこれまでそう思っていたわけでもないけれど、書くのにどうしようと3秒悩んだ結果だ。

 「思考は出会い」これはあながち間違ってもいないように思う。人は普段から何かしら思考しているけれどご飯どうしようとか次の仕事はなんだとかで、自分の日常を思い起こしているに過ぎない。

 しかし、ふとテレビで誰かが言っていたことに疑問を持ったり本屋で見た何かに惹かれたり、尊敬している人が言っていた一言が妙に響いたりした時、その思考は新しい領域に入る。  これは凄いことで、めったに響かない人もいれば響きまくる人もいる。その差も既に「思考の固定化」の影響ではあるので、本当に固定化した固着した頭を動かすことは難しいけれど、出会った思考は常に新しく柔らかく美味である。

出会いの思考は運

 出会いは素晴らしいけれどである。如何にインターネットが便利で誰とでも繋がれると言っても、自分にその意思がなければ誰とも出会うことはない。

 ではどうすれば意図的に出会い、固着した思考を柔らかい素晴らしい状態に出来るのか。当然一つは「本」だ。多くの人が言っているように本は思考の塊である。その中身があっているかどうか、興味があるかどうか以前に、他人の思考の塊を読み解くことが出来るツールなのだ。

 それがどうした、そう言われもする。しかし人は適応してきた歴史のなかにもし、伝達と言うものがなければここまでの進歩はなかった。今まだ足りぬと感じ、更に進歩しようとするのは伝達のおかげだなのだ。そしてその伝達の一つが本である。

 運で出会うなら本屋で適当に本を取ることも運である。しかし1万人のなかから影響力を感じるよりも1万冊の中から影響を感じるほうが早く、確かで強いエネルギーを持っている。

 待つよりも出会える場所は本のある場所ということになる。

思考し続ける

 思考は必ず固定化する。誰でもそうである。偉大な発明家たちなどは固定化した思考で苦労する。それは破りたくても破れない思考というのもあるからだ。ある日突然突き破るのを待ってもいられれない。ああゆる情報と人と出会い破天荒に走ることもある。

 別に我々一般人は偉大になる必要はない。しかし、それでも思考は常にし続けなければいけない。取り残され置き去りにされ得るものも得ず離すものも離せず朽ちていくだけの存在になりたくなければ。

 ただ朽ちるというのは禅のようで美しく感じるかもしれない。しかし禅は思考をやめるこういではない。それよりもむしろ思考に集中する行為だ。出会いからではなく、自分の中に接続して行くことで未来を切り開く行為だ。

 それなら一般人にでも出来るのではないか。しかしそれも否定はできずとも肯定もできずといったところか。思考を内側に放ち続けるというのは中々難しいもので、例えば悟りというものも一つのゴールではなく、数あるゴールの中の一つであるとされている。禅僧はゴールを求める事からも解き放たられる思考を持つようになるのだ。

 そしてそうやって得た思考は自分のものではない。 その次の世代のもの、もっと先の子孫のものだ。しかもそれが全てではなくたった一欠片にしかならない。それでも何万冊の本から出会いを探すより、何億の人から出会いを探すより、親や家族がその出会いであることの方が幸運で、幸福なのだから思考するしか無い。

 我々の思考は我々だけのものではなく、影響の外に向かって常に伝わっていく全ての人のためのものなのだ。

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

ちなみにこんなことを普段口にしていると全くもてないどころかめんどくさい奴もしくは中二病として認定されること間違いない。