明るい性格じゃなくていい
どんな性格になればいいかと言われたら社交的で明るい性格が一番得をします。だからと言って無理にそうしようとしている人は周りから見ていて無理が目に付く上に何処かで自分も限界が来てしまいます。
必要なことは自分に無理が来てもそれが致命傷にならないこと。 多少の無理もする気のない人は、ただ頑張りたくないというだけですよね。
それでも私は頑張らない
頑張ってとか頑張るねとか応援したり褒めたりすることは、相手によっては怒りを買うことになりますね。私も思春期の頃にその言葉が気になって使わない時期がありました。
しかし応援する側、褒める側はよっぽどひねくれた人じゃなければいい意味で使っています。稀にイヤミで言う人もいるかもしれませんがスネ夫を1000人程煮詰めて圧縮しないとそんな人はいないでしょう。
純粋に応援したりhめたりしてくれている人に対して腹を立てても意味はないので素直に受け取れるようになりました。そしてそれと同時に自分も時々使うようになりました。ちなみに一番つかうのはファイト!です。それもまた古い響きがありますが、ふんわりと伝わるので便利なものです。
さて話を戻して頑張らない話です。多くの人は努力に対しての評価は低めです。それは頑張っていない努力をしていないということではなく、趣味だったり好きだったり癖だったりするだけでそうしているからです。頑張ることが自然であるので本人にとっては頑張っていないということになります。
とはいえ周りから見れば頑張っていてそれは素晴らしいことなので評価するでしょう。もしそうされたのならありがとうと素直に受け取っておくだけで十分です。せっかくの貰い物をはねつけるような事はただの無礼ですからね。
ただ、私はめんどくさがりで傍から見ても頑張っていないんですが、それはまた別の話。
個性という評価
明るい人もいれば暗い人もいる。そんなことは誰に言われなくても分かっていますが、どうも世間は明るい人を評価しがちです。それは見た目にいいだけのことで評価されます。しかしその評価が不当かと言われればそういうことでもありません。多くの人が良いと評価するのなら取引相手や敵もいいと評価をするので成績にも繋がりやすいからです。
明るいというのはそれだけで得するのか。と言われると目立つ事は悪いことでもあります。静かにしてほしい人だっているでしょう。構われたくないときだってあります。
暗いとかコミュ障と言われる人は基本的にマイナスに評価されがちでそれが当たり前のように思っているところがありますが、それは大き間違いです。「個性にプラスもマイナスもない」出来不出来すら評価の対象じゃなくていいんです。大した評価がされなくても気にする必要もなければ頑張って明るくしようなんて思う必要もありません。
評価は性格を上下にはかるものではありません。
それでも出来ることはする
暗いとかコミュ障の人が何故低評価のままになるのか。その一つは意思疎通にあります。言葉が少なかったり誤解がそのまま通るので低評価に繋がりやすい。
つまり意思表現だけでも出来ていれれば間違った評価は減ることになります。好き嫌いでは嫌われることが多いのでそこで評価されればその分はどうしようもありませんが。
意思表現ができないのにしろとはどういうことか。 別に自分の意思は会話に限ったものではありません。メールも手紙もあります。行動で示すこともできれば笑顔一つでどうにでもなる場合もあります。自分がいましていないことを「どうせ」と決めつけるよりはやって嫌われている方がすっきりしないでしょうか。
ネットでは偉そうなのに実際には喋らないなwwwなんてことにもなりますが対面が弱い人なんてそこら中にいるのに未だにそんな風にしか思わない人のことは放っておきましょう。出来る表現に全力を出してください。自分が全力で出した表現が認められるように頑張ってください。
その表現が否定されたのなら「わかって貰えない」何ていうのは無しです。直接だした言葉だって正確に伝えるのは難しいのにそれ以外で伝えるのは難しくて当たり前です。表現は受け取る側が全てです。今持てる術で分かってもらえるように頑張りましょう。
わかってもらえなくてもちやほやされたいだけなら別ですけどね。