素敵なはなし

素敵な話になればいい話、色恋と仕事

助かるために責めるか、今のために寛容になるか

テレビを付けたら出雲駅伝が行われていました。

タスキを渡す目前で倒れた選手。 必死で届けようと地面を這いずります。しかし選手は医療チームに助けられてしまいました。それは失格を意味しタスキが繋がらなかった事を意味します。昔の事は知りませんが、最近はタスキが繋がらなくても次の選手は走れるそうです。 だからと言って繋げなかった人は救われるのでしょうか。

チームメイトの中に彼を責める人はいるのか 慰め、讃えるばかりにならないか

寛容力のコツ: ささいなことで怒らない、ちょっとしたことで傷つかない (知的生きかた文庫)

ミスと不幸は必ず起きる

 世の中にミスや不運と言う言葉ある以上、それは必ず起きるものです。それは誰かの上にだけふりそそぐわけではなく、たまたまか情報によって雨宿りできただけのことです。

 準備や情報によってミスや不運は減らすことはできるかもしれません。しかし世の中に自分以外の要素がある以上はなくなることはありません。もしそれを自分の不運だと認識しないとしても。

責めないのは誰のためか

 責めないことで自分の大きさを保とうとする。鬱積する感情を処理できるか。感情は時間を経て消えるのではない。怒りや落胆と言った感情は変化し同じような人への根拠のない悪意になる。それは結晶化するようで、絞り出されたエッセンスのようでこすっても取れない汚れになる。

 相手のためであり自分のためであったはずの感情の行方を間違えれば気づかないうちに自分や周りの大切な人を責めることになるかもしれないということです。

 笑えるまで責める

 誰かのミスや不運に対してどうするべきかというのは正解はないかもしれません。それは相手の感じ方にもよるからです。しかし、自分のため今後の自分の周りの人のためまで考えるなら確実に一度は責めてあげるべきです。

 お前のせいで負けた、お前のミスで、お前の不運で、 初めて言ったり言われたりしたときのことを思い出すとわかりますが、こういう言葉は突き刺さります。案外言った側の気持ちにも突き刺さります。責めているのに責められているような気持ちになるものです。

 しかし大人になってしまえばいつの間にかそんな言葉も聞き飽きて、言っても言われてもあまり感じないかもしれません。ただそれは感じなくなっているだけでそのダメージがなくなったわけではありません。気にしていないようで時間とともに表に出てきたりします。

 気にして無いといいながら酒を飲み始めると怒り狂う人を見ればわかりやすいでしょうか。

 気にしないなんてことは人はできません。そのあと処理できるかどうかです。処理するためには表に出さなければいけません。目に見えれば、表にでてくれば、人は処理できます。

 不運やミスに対して特に怖いのは、その雨を被ってしまった本人が何も言われないときです。本人は出す方法が限られていて処理できない。一番ダメージが大きいにも関わらず。

 「責められたほうがまだまし」というセリフはドラマやアニメではよく聞くかもしれませんが、実際にそのほうがマシだということは確かです。 かと言って、責めれられっぱなしでもその後がありません。挽回は本人だけではなく周りの人にとっても大事です。

 そのために責めて吐き出して、ぶつけた後は抱きしめ合うくらいの愛が必要です。仲間でも友人でも同僚でもそのと限りのチームでも。

寛容論 (中公文庫)