言葉にすることは大抵逃げ口上
口にすることは逃げることかどうかと問われました。 私の答えとしては凡そそうだろうと思います。
言葉には何かから逃げたい時に自分を許す効果があります。
行動に対する言葉
言葉は逃げる事に使われるとは言っても、言葉そのものが逃げるためにあるというわけではありません。
ちょっとややこしいかと思いますが、行動に対して出る言葉は逃げるためであっても言葉そのものはそうではない。「右に行く」これ自体は逃げる言葉ではありませんね。しかし左から逃げようとしている行動であるといえます。そして多くの言葉はこの様に一見するとただ行動を示すものになっています。もちろん、説明的に「左に活きたくないから右に行く」と言う場合もありますが、逃げるためのための言葉である事はかわりません。
### 言葉少なに勇隠し 人は逃げる時に口数が増えます。自己弁護であり、正当化でありますが、それは悪いことではありません。自分を正当化しないと人は自分のバランスを取れなくなって心を病んでしまいます。最近は言葉に敏感な社会構造なのでバランスの取れない人が増えているのかもしれませんね。
逃げるときの言葉は誰かに言い訳をするためだけではなく、自分自身に向けられています。
したくないから言葉にする
人は逃げる時に言葉を使う。そしてしたくないことをする時にも言葉を多く使います。自分のことを思い返してみると、しなければいけないけれどしたくないそんな時に独り言が多くないでしょうか。
それはしない自分を逃しています。根本的に社会生活を考えなければ人はしなければいけないことは無いと言い切れるほど少なくなります。つまり社会的に仕事や経済活動を行っているから必要であって、原始的な生活をすると思えばする必要はないことだらけだということです。
そしてそんな必要のないことに囲まれて、否応なくしなければいけない社会にいる人間は自分に対して言い訳をしながら社会にいるために必要なことをします。
一つもう一度言っておきますがそれもまた悪いことではありません。ただ、この理解は人を強くします。言葉がしなければいけないことに立ち向かわせる力になると言う証明であるからです。
アニメエヴァンゲリオンでシンジくんは「逃げちゃダメだ」と自分に言い聞かせてエヴァを動かしました。あるスポーツ選手は競技の前に「俺は世界一飛べる」と言い聞かせます。
出来る、やれる、やらなくてはいけない、そういう言葉に繋がっている時言葉は自分の負担を吐き出し行動を体に残すわけです。 また、しなければいけないことが正義であるとき、その言葉は何であれ行動は「勇気」と呼ばれます。
言霊だとかアファメーションだとか引き寄せだとか色々ありますが言葉が行動と心を制御している部分があることは間違いありません。