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愛と仕事と金

誰に勝てば終わるのか

勝ち負けは市場にも個人にも大きな原動力をもたらし成果を出してきました。 ところが最近になって、勝ち負けつまり競争が弊害としても認められるようになってきたようです。

誰に勝てば勝ちで、どうなれば勝ちで、どこに終わりがあって、その結果は本当に幸福につながっているのでしょうか。

「負けるが勝ち」の生き残り戦略―なぜ自分のことばかり考えるやつは滅びるか (ベスト新書)

技術は幸福ではない

そもそも科学的、技術的な発展が幸福とイコールで結ばれているかのように捉えている人がいますが、それは間違いです。

技術の発展はただの変化であって、幸福とは別の問題です。

当然医学をひっくるめて科学や技術は人の生活を便利にしたりします。長く元気に生きられるようにもなったようですしこれからも暫くその傾向は続きそうです。

しかし利便性が上がり自由度が上がることは歴史的というか生物的にというか自然な流れであって特別語るようなものでもない気がします。もし自分が宇宙に行けるようになったら大喜びしますけれども。

自動車事故は技術で減るでしょう。それによってなくなるかもしれない命は助かります。しかし技術開発に因って車で亡くなる人が出たのがスタートです。プラマイゼロ。

病気は技術に因って完治するかもしれません。しかし病気で亡くなることは不幸でしょうか。もちろん苦しむ事は辛いです。

「勝ち負け」にこだわらない、自分流の生き方

長生きは幸福ではない

長く生きなくても特に不幸ではありません。自動車の事故が減ったところで他の死因が注目されるだけで不幸に奪われる命があることに代わりはないでしょう。

素晴らしい人が長く生きたとしても結果は代わりません。惜しい人をなくしたという思いはありますし悲しむ気持ちもありますが、素晴らしい人はどの世代にも必ずいてそれは一人ではなく、ただ取り沙汰されていた人が亡くなったということです。それなら注目するべきは新しい素晴らしい人物の教育や成長を見守ることに向くべきで、亡くなった人に責任を押し付ける事は恥ずかしいことのように見えます。 自分の人任せ体質に少しでも気づく機会があることを幸福に思えた方がいいのではないでしょうか。

勝ち負けは動物的本能か

さて戦争の根源もまた勝ち負けであり競争であることは間違いありません。

現在でも世界では武力的な争いがありますが、それがやんだとして世界から争いはなくなるでしょうか。

戦争は勝ち負けが付きます。負けた方は買った方に従わなければいけません。文化すらなくすこともあります。負けた方は亡くなった命に対して代償を求めることすらできないこともざらです。

こんなに苦しいことはないでしょう。 しかし争いは無くならないとも思います。誰だって喧嘩をします。自分はしたこと無くても喧嘩に関わったことのない人はいないでしょう。それは個人の戦争です。自己主張を通すための戦争です。勝ち負けがつくつかないに関わらず起きるものです。

自然界でも戦争はよく起きています。動物はなわばり、雌、食料を巡って争い続けます。極端なことを言えば、自然現象も争いみたいなものです。ちょっと大きいことを言い過ぎた気がします。 とはいえ自然界での争いは間違いなく起きていて、それを人が起こしたからと言って動物とは違うと言えるのでしょうか。

ほんで?

だからなんなんだよ。と言われている気がします。つまり勝ち負けは技術は生活を変えることはあってもそれは幸福とは別で、かつやめようとしても争いは無くならない。

そらそうだろうよ?

はい。そういうことです。それを敢えて書くことはだから諦めろと言うことではありません。 誰かと比べれば勝ちも負けもつくけれど、それを自分が伸びるためには使っても誰かを不幸にするために使うべきではないみたいなことでしょうか。

身の回りの勝ち負けは何があるでしょうか。

マイナー力(リョク) 「負け」が「勝ち」になる生き方