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愛と仕事と金

宿題課題への効率的な取り組み方 週雑夏休み号

宿題と言えば夏休みの悪魔!子供の心を壊す魔の習慣の一つです。 とそこまでは思いませんが、宿題って面倒ですよね。悪習である、悪影響があるという話もあります。私はある時期から全く提出しなくなりました。宿題を出さずに他で評価を上げてどうにかしていましたね。

かと言ってそんな手がどこでも通じるわけではないでしょうから宿題の取り組み方について考えます。

宿題なんかこわくない

宿題とは何か

そもそも宿題ってなんやねん。というのが子供だけではなく大人でも疑問です。親に聞いてもやらないといけないものはやらないといけないとしか言えなかったりして、そうすると子供としてはやる意味を更に見いだせなくなり、、、

宿題とは即題、席題の対義語でその場で解決しなかった案件のこと。持ち帰りの疑問というのがそもそもの立ち位置です。とは言っても宿題という言葉自体がそんなに歴史のある言葉でもないようですが。 人は新しい知識というのは楽しくて仕方ないもので、自分で調べ始めると止まらなくなることがあります。各々で興味の分野は違っても楽しいことを見つけると誰でも知識は増やしたくなってしまいます。

宿題とはそういう興味の塊だった時代から基本教育制度によって変わってきました。 興味をもって取り組む宿題から、興味も持てない事をやらされるものへ。

宿題の意味

では何故宿題をやるのか。

  • やらされ慣れることの大事さ
  • 復習は最大の勉強
  • 先生は皆同じようにできないと気が済まない
  • 勉強の意味 能力開発
やらされ慣れることの大事さ

勉強全てに意味がないとしても社会に出ることは全ての人にとって必然です。そして社会に出ると意味もわからずやらされる仕事が結構ありますし考えるよりも先に動かなければいけないこともあります。それは下僕の様にということではなく、指示を信じるということでもあります。とはいえ指示の中身を取り間違えると本当にただの下僕のようにもなってしまうのでやらされながら考えなくてはいけないこともあります。

この習慣は、もし自分の能力に自身があり自分で伸ばしたいものがあれば無視してもいいとおもいます。しかし自分は何をやっても平均以下だと感じてしまうならせめてやらされることをやるだけで平均にはなれるということでもあるのかもしれません。

復習は最大の勉強

勉強としての意味を考えるなら宿題は復習です。基本的に予習するような宿題はほとんどでません。そして記憶という視点で見れば、復習は記憶を定着させるために必要です。どんなに賢い人でも記憶を定着させるためには何度も同じ内容を確認する必要があります。

本当なら学校以外で自主的に予習復習でもすれば、勉強としての宿題にほとんど意味はありませんが自主的にしないのであれば宿題はそういった記憶を助けるために役立ちます。

ほとんど意味はないと言っても意味がある宿題もあります。あまり一般的に認識されていませんが、学校は完璧ではありません。毎年ちょっとずつ偉人があれ入れようコレ消そうと話し合って載っていたり載っていなかったりしますし、全ての知識を網羅することは到底できません。

そのため教師は宿題によって自分が授業でやりきれないことをやらせることもあります。テストに出ないことに時間を使うと教師は怒られたりするので、テスト以外の重要な知識として宿題を出しているかもしれません。

先生は皆同じようにできないと気が済まない

人の能力は大きな差があります。しかし教育する立場としては全ての生徒の能力に合わせて授業はできません。そのため授業は一定のスピードで進みますしみんな同じテストをします。

できない子を放置してどんどん進まなければいけないけれど、切り捨てることに気が咎めるという先生もいます。皆が揃わないと先生の評価が下がるなんていうこともあるでしょう。できない子を無視していると親からクレームが入ることだってあります。

そのために宿題を出しておけば、補修を開いておけばそういったことから最低限自分のやれることをやっていると言える、思えるようになります。

勉強の意味は能力開発

そもそも勉強する事全てに意味を感じない人もいます。勉強なんかできなくても生きていける、稼げるということもあります。

それでも私は勉強はするべきであると言います。その理由は能力開発です。人には色々な能力がありますが、使わずに花開く能力はありません。スポーツがどれだけ得意でも学校で威張っているだけで何かの選手になって成果を出すわけではありません。どれかのスポーツを選びクラブに所属し、結果を周りに見せなければお金を稼ぐところまでは到底たどり着けないものです。

同じように他の能力、閃きや技術的な何かも使われなければ日の目を見ることはありません。 しかしやりたいことも特にない。そんな時にはスポーツなら体育の授業で幾つか経験することができます。テレビを見て興味を持つこともあります。しかし頭を職業ではそうはいかないので勉強をして頭を鍛えておくのです。

勉強は筋トレであり、ヨガです。集中力や能力の下地を作っているので誰であれやっておくべきだと言います。

宿題のやり方

最近は宿題の代行サービスもあるのでお金があれば任せておいて他の様々な経験に時間を使うのはいいことです。

しかしもし自分でやるというのなら、宿題にはやり方があるということを認識させてあげましょう。 その一、宿題は勢いが必要である。 その二、宿題はやれるものをオツマミにやりたくないものをメインに。 その三、宿題は集中しないと終わらない。 その四、宿題はゲームだ。

宿題に限らず、人は何かをやり始めるのが一番大変です。なのでスタートにはきっかけや餌、罰などあらゆる手段が必要です。ただし、餌や罰はその効果とともにリスクがあることも知っておかなければいけません。

宿題は常にやりたくないものと、まだマシなものが混ざっていると思います。そんな時は迷わずやりたくないものをメインに初めましょう。箸休めに出来る方をやるとそれだけでリフレッシュにもなり気分も繋ぐことができます。

宿題や勉強、仕事なんでも集中が大事です。そんな時にテレビを付けながら、動画を流しながら音楽を聞きながらは絶対に集中できないということを知っておきましょう。集中しているという状態はそれ以外の何も気にならない状態なのでもし集中してるけど他のことも出来るという人がいたら嘘乙と言ってあげましょう。そして集中の有無で人の能力はびっくりするほど変わることも学べます。

宿題や勉強はやりたくないもの。しかしゲームや遊びはやりたいもの。なら宿題もゲーム感覚でやればできます。一番早いのは友達と一時間でどれくらい進むか競う、一人でも時間を測ってやったりします。また宿題はRPGで言うレベリングです。つまりボスに勝てなかったのでちょっとレベル上げようというあれ。自分がどれくらい出来るのかはテストやライバルが測ってくれるでしょう。

大人と宿題

さて大人はよく子供の宿題にご褒美と罰を与えますが、どちらも良し悪し。リスクがあることを知っておきましょう。ご褒美がなければやらなくなったり、済ますことだけに注目してしまいます。

大人と子供は別ではありません。子供にやってほしいならやっている自分を見せなければいけません。仕事を頑張っても仕事場をいつも子供が見ているわけでもありません。

大人の宿題は子供のために必要な情報を勉強すること。 子供のために学んだことは案外実社会でも生きるものです。