万言一金
人は影響されるものです。影響を受けたくても受けたくなくても入ってくる情報に因って日々影響を受け続けます。
しかし自分から出す言葉にも自分に入ってくる言葉にも大きい影響を与える言葉は万に一つあれば良いほうです。そんな言葉を気にして生き方を制限していては大きくなれませんよ。
バカと言われて死ぬ人はいない
人によって言葉の受け取り方は様々です。ある人はバカと言われても一向に気にする様子もなく本人にとっても後でバカと言われてましたよねと聞いても覚えていないくらいです。一方でバカと言われた途端にキレる人もいます。理由は何かといえば特にない。その言葉が嫌いだからです。
頑張れという言葉は多くの人が応援として心を支える言葉としてかけますが、受け取る人によっては他人事のようで嫌だといいます。
この様に各々が育った環境で変わる言葉のニュアンスは誰にもわかりません。特別にキレるような言葉なら言わない方がいいことはあっても、一度はキレさせないとどの言葉に反応するかはわからないということになってしまいます。こういう言い方をしてそれを調べるためにいろんな罵倒を繰り返しているんだという人がいましたが、まあ結果は聞くまでもないというかただの嫌な人です。
言葉に因っては人を殺すこともあります。しかし相手がキレる言葉や死ぬ言葉はごく僅かなものです。その言葉に縛られて自分の言葉が動けなくなるようなことにはならないほうがいいですね。
自分の言葉は自分のもの
自分の言った言葉は誰かのものにはなりません。時々その言葉を自分の言葉のように発したとして著作権だとかパクリだとか言いますが、言った人に因ってその言葉の届く人も違えば感じられ方も違います。
それにその言葉は自分の中で意味も変わっているので発する言葉の意味すら実は違っていることだって少なくありません。
しかし自分の出した言葉は自分のものだということは責任もあるということです。自分がどういうつもりで言ったとしてもそれで傷つく人がいたとすればまずは誤解について謝罪がひつようかもしれません。それはいくら違うと言ってもわざわざそれを伝えに来た人に対して違うと説明をしても納得する人は少ないからです。悪くないということでもなく誤解される言い方はやはり避けることが肝心で避けられないなら自分の語彙力や伝達力に不足があるのです。
自分はバカにする言葉を使うけれどバカにしてるつもりはないからいい。ということではありません。おそらくそれまでに何度も機械があったにも関わらずバカにしてるように伝わらない言葉を学ばなかった結果だということです。
万言一金
生きてれば時々心に響く言葉に出会います。私はそんな言葉を探しているので比較的見つける数は多いかもしれませんし、多いからと言って他の人に響くかと言われればそんなことはないでしょう。
しかし誰の影響にならなくてもそんな言葉を見つけては発信するようにしています。 悪い影響の言葉はあまり発信することはありません。金に値する言葉を発信します。それが万に一人でも影響を受ける人がいれば発信したかいがあるというものです。
悪い言葉であっても影響が強い言葉なんていうのは万に一つです。いつもはハリセンで突っ込んでいてもある日一度だけそれが鉄のハリセンだったら取り返しの付かないことになる自覚も持っておかなければいけません。
逆に誰かの小さい言葉のハリセンでも一万人で同じことを言えば鉄になってしまうものです。 そんな言葉の輪にいつの間にかはいってしまうことにも注意しましょう。
注意と言っても何も言わないことではありません。何も考えないことでもありません。できるならいつも考え、いつも発信し金を見つけ大事にしていけば金が大きな財産になるものです。
言葉の金投資ですね。
言葉の中にいい言葉なんかはまんにひとつしかない その程度だしそれを見つけられたなら大切にしなければいけない