smile seeds

愛と仕事と金

愛とは何か。

そんなものは誰かが語っても仕方ない。
 
ただし、誰が語っても「優しさ」に似たものが含まれるのは確かだろう。
「思いやり」のようなものでもあり、具体的な何かを示すのはやはり難しい。
 
だからこそ誰もが愛を語りたがるし、すれ違う。

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それこそ優しさや思いやりがあるのであれば、そのズレを許容する事ができただろうに。
 
私が語るとすれば愛は自然発生的なものでもあり、自ら起こす事もできる感情だ。
 
 
優しさや思いやりを自分の意思でどうにかできるように、愛もコントロールすることができる。
愛されたいと思うことは間違いではないし、全ての人が持つ欲求でもある。しかし、自分が愛そうと思う相手がいるのなら、まずは愛することから始める。思いやり優しさを持ち愛を伝える。
 
狂うのは愛が相互に通じた後。
 
一度愛されることを知ると油断をする。自惚れる。初心を忘れる。
 
愛することは何もせずに維持できることではないし、愛されることも維持できるものではない。
 
愛したければ愛さなければいけないし、愛されたければそうしなければいけない。
 
それもせずに愛されないことにケチをつけ、愛せなくなった事に終わりを見出すのは愚策であったり、間抜けであるように見える。
 
誰もそれを止めようなどとはしなくなってきた。
 
別に終わりは恥でもないし、身を守るためということもある。
 
 
ただ、もしその終わりの前に自分にできる事があるのならやらなければ次も同じ事だろう。次どころかずっと。